2024年 12月 05日
敦煌文書班の論集・続 |
7年前に書いたペーパーの原稿を探し出して,記憶を呼び起こすために読み出す.7年の間に,朱雷『吐魯番出土文書補編』や栄新江他主編『吐魯番出土文献散録』など,中国でいくつもの写真・録文を収録した成果が出ているので,それを踏まえて書き加える箇所が複数ある.それはそれなりに厄介な作業なのだけれど,頭を使うような作業ではない.それ以上に,この7年間のあいだ,私の構想や理解がちっとも深まっていないことに嫌気がさしている.でも新しいテーマにチャレンジするような余裕もなく,致し方がない.そもそも『高昌郡とトゥルファン社会』の序章として改訂する予定だったものだが,中原から遠く離れたトゥルファン(〈五胡〉時代には高昌郡)でも,文書行政システムが稼働していて,先日も書いたように,官文書は上行文書・下行文書・平行文書があり,それぞれに複数の様式が定められていた.そこまで細分する必要が本当にあったのか,それがそもそも謎なのだが,様式が定められていたことは確実で,そういう文書行政システムが厳存していたことこそ,新鮮な驚きを感じるのである.そしてそれこそが中華帝国の凄さや怖さの源泉であり,かかる文書主義あるいは文字至上主義の位置づけこそが重要なのではないか,と思うのである.
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by s_sekio
| 2024-12-05 20:30
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