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    <title>関尾史郎のブログ</title>
    <link>http://sekio516.exblog.jp</link>
    <description>東洋文庫研究員・新潟大学名誉教授の関尾史郎の仕事用のブログです．出土史料を用いて中国古代史を研究しています．本ブログは，教育・研究のために2005年に立ち上げました．現在は日々の研究の営為を中心に紹介しています．またまとまった成果はnoteのサイト（https://note.com/nakazato211/）上で公表していますので，こちらをご覧ください．</description>
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    <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
    <dc:rights>2026</dc:rights>
    <pubDate>Wed, 15 Apr 2026 20:23:22 +0900</pubDate>
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      <title>関尾史郎のブログ</title>
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      <description>東洋文庫研究員・新潟大学名誉教授の関尾史郎の仕事用のブログです．出土史料を用いて中国古代史を研究しています．本ブログは，教育・研究のために2005年に立ち上げました．現在は日々の研究の営為を中心に紹介しています．またまとまった成果はnoteのサイト（https://note.com/nakazato211/）上で公表していますので，こちらをご覧ください．</description>
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      <title>校正</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33932661/</link>
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      <description><![CDATA[ようやく時間がとれたので，黄烈学会の提出ペーパー（をそのまま論文集に収録．これは2023年の敦煌吐魯番学会も同じ．こちらは校正さえなかった．だから論文集が出たのさえ知らなかったし，執筆者寄贈さえなかった．届いたのは，私の住所を裴先生が蘭州大学の事務局に伝えてくれたから．でも学会にエントリーした際にこちらのメールアドレスを伝えてあるわけだから，事務局が把握しているのが当然だと思うのだが）を点検することができそうだ．既に内校が入っているので，気軽に見ることができそうだ．]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Wed, 15 Apr 2026 20:23:22 +0900</pubDate>
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    <item>
      <title>感謝</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33932014/</link>
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      <description><![CDATA[夕食後，ぼんやりしながらネットを見ていたら，東方書店のツイッターXに，『明大アジア史論集』第30号記念号の宣伝があり，表紙目次の画像があったので，拡大してみた．自分の名前があってびっくり．もちろん寄稿などしていない．拙著『周縁の三国志』の紹介記事を，設楽英貴氏が執筆してくださったようだ．存じ上げない方だが，ありがとうございます．鈴木直美氏の「長沙五一広場後漢簡牘にみるアサの生産と流通」という論文も掲載されている．「アサ」は「麻」なのだろうが，五一広場簡の分析からこのような問題も明らかになるのか，軽い驚きである．]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Tue, 14 Apr 2026 19:07:23 +0900</pubDate>
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    </item>
    <item>
      <title>校正</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33931404/</link>
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      <description><![CDATA[2024年9月に新疆師範大学で開催された「中国古代民族文化交流与融合的新視野――紀念黄烈先生誕辰100周年」に裴成国先生に翻訳してもらい，「道教符籙与随葬衣物疏――読黄烈先生的《略論吐魯番出土的“道教符籙”》」なるペーパーを提出した．多くの先例から判断して，学会終了後に論文集が刊行されるものと思っていたのだが，その後，連絡がないままだった．しかし突然なこと，裴先生を通じて，校正原稿が送られてきた．いよいよ論文集が刊行されることになったようだ．慶賀すべきことであるが，校正には時間がかかりそうだ．日本語原稿は，増補改訂を加え，第四論文集『敦煌とトゥルファン』の第二章の後方に附章一として収録する予定．裴先生，ありがとうございました．<br />
]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 13 Apr 2026 19:19:39 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-04-13T19:19:39+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>小野　響「後趙と漢族」</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33930688/</link>
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      <description><![CDATA[新着の『東洋学報』を手に取ってみた．副題は「特に所謂名族の動向を中心として」．<br />
<br />
思うにこの問題（〈五胡〉政権は漢族にどう対応したか／漢族は〈五胡〉政権にどう対応したか）は，なかなかに複雑で，どのようなファクターを取り上げるかで，結論も大分違ってくるのではないだろうか．<br />
その政権が非漢族をどのように，どの程度組織化できていたのか，あるいはその政権が華北のどのあたりを拠点化していたのか，こういった点が重要なように思う．「名族」など存在していない地域（それは非漢族の居住域と重なるか，隣接するかのいずれかだった可能性が高いが）を拠点とした政権では，「名族」認識も低かっただろうし，その組織化も至難だったのではないか．政権別に権力構造を概観することはそれほど難しいことではないと思う．とは言うものの，そのような作業さえ，私のような老残の身にはそれこそ至難であるのだが．<br />
]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 12 Apr 2026 16:51:36 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-04-12T16:51:36+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>天地瑞祥志研究会校注『天地瑞祥志校注 附 輯佚』</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33930056/</link>
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      <description><![CDATA[汲古書院，2026年3月．<br />
<br />
1000頁を超える大著．研究会の皆さんの長年の努力には同業者として頭が下がる思い．かつて五胡の会で『五胡十六国覇史輯佚』を編んだ際，この『天地瑞祥志』からも『十六国春秋』などの佚文を拾ったことがあるが，今回のこの大著をあらためて見返す必要が出て来たのではないか．<br />
]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 11 Apr 2026 16:37:07 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-04-11T16:37:07+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>『庫車友誼路墓群出土画像塼（浮雕塼）・造型塼目録』</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33929441/</link>
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      <description><![CDATA[noteに公開しました．https://note.com/nakazato211/n/n8918870e4848<br />
<br />
<br />
もちろん無課金です．関心のある方はクリックしてみてください．<br />
2007年の第一次発掘は2013年に発掘簡報が出たが，10基のうちの典型的な墓しか紹介していない．三号墓は門楼に画像塼が嵌め込まれていたので，当然大々的に扱われたが，例えば二号墓は『2007中国重大考古発現』に大きく写っている写真こそあるものの，詳細は不明であり，今までほとんど言及されていなかった．2010年の第二次発掘については2015年に簡報が出たが，そこに附された「墓葬分布図」によると，両墓の間には墓道を有する塼質墓だけでも四号墓と八号墓があり，かつ二号墓は墓道南／墓室北であるのに対し，三号墓は墓道西／墓室東という位置関係で，同族墓とは思えないのだが，二号墓の上部が欠損した門楼には下部に2層にわたって椽が列状が配置されており，その中間には斗栱塼（残）が認められる．この配置は三号墓とほとんど同じであり，画像塼の有無を除けば，両墓はきわめてよく似た門楼を有していたと言うことができそうである．<br />
第三次発掘で見つかった墓道を有する大型の塼質墓も，斗栱をはじめとする造型塼が出土しているので，これらも含めて同時代に築造された可能性が高いのではないか．<br />
わかるのはせいぜいそのくらいで，謎ばかりだが，第四次発掘の簡報も早く出ることを期待する．<br />
]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 10 Apr 2026 16:36:03 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-04-10T16:36:03+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>「庫車友誼路墓群出土画像塼（浮雕塼）・造型塼目録」</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33928955/</link>
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      <description><![CDATA[スキマ仕事なのだが，表記のような目録を作ってみた．エクセルの表が2頁分．分量からすれば大したことはないのだが（だからスキマ仕事），M30だけではなく，M407も同じような構造なのだが，斗栱塼が出土している．こちらはM383の北壁を「打破」して造られているので，M383のものだった可能性が高い．塼質墓であるM383からは斗栱塼5点，承獣塼1点，椽子塼が1点出土しているので，説明がつく．目録は近日中にnoteのサイトにアップする予定．もちろん無課金で公開するつもり．<br />
]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 09 Apr 2026 20:24:59 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-04-09T20:24:59+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>平勢隆郎『神獣とは何か―忘れられた霊獣の世界―』</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33928340/</link>
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      <description><![CDATA[雄山閣，2026年3月．<br />
<br />
近刊の広告で知り，ぜひ読みたいものだと思っていたもの．本日届いた．私の図像研究にも重なる部分があるだろうとは思っていたのだが，いつもついていけない「平勢ワールド」観満載．私の問題関心とはほとんどクロスしない．安堵と言うべきか残念というべきか．多分両方なのかもしれない．<br />
]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Wed, 08 Apr 2026 20:25:33 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-04-08T20:25:33+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>塚本靑史『深掘り三国志』</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33927535/</link>
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      <description><![CDATA[昨日，移動中の車内で読了．拙著『『三国志』の現代史』で取り上げるつもりで購入したのだが，なかなか読む気が起こらず，時間がかかってしまった．どこが「深掘り」なのか，さっぱりわからない．呉は自滅していき，蜀は衰退していくという．まあそうだろうけれど，ヒネりがない．小説家・作家ならではの，叙述はできないものか．「深掘り」ではない，という批判くらいしか思い当たらない．取り上げる価値や意味が見あたらない．弱った．]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Tue, 07 Apr 2026 16:27:50 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-04-07T16:27:50+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>修正</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33927481/</link>
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      <description><![CDATA[昨日は古いサイトを見ていたようで，自分でも半信半疑だったのだが，今日あらためて検索したところ，安徽師範大学の現在のサイトが見つかった．ちゃんと歴史学院があり，その中国古代史教研室に常澤宇氏のお名前もあった．文学院から分離独立したのだろうと思ったが，かなり以前から存在していたようで，真相はよくわからない．私たちにとっては，万縄楠氏（1923～1996年）の本務校と言った方が馴染み深いかもしれない．]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Tue, 07 Apr 2026 14:52:42 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-04-07T14:52:42+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>常沢宇「東漢磚銘璽印読札二則」</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33927038/</link>
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      <description><![CDATA[著者は安徽師範大学歴史学院の所属らしい．「らしい」というのは，大学のサイトを見ても，「歴史学院」はなく，「人文学院」のなかに文学・語学と史学が組み込まれているようだ．著者から恵贈に与ったのだが，論文のタイトルから判断して私の守備範囲を超えているように思った．「二則」とあるように，一つは「淮陽北関一号墓出土磚銘」，もう一つは「亳州馬園二号墓出土銅印」．ようするに「曹憲」印である．これについては，拙著『三国志の考古学』でも少し言及した覚えがある．よく見たら，この拙著のほか，1997年の旧稿「関于安徽曹氏一族墓葬的幾個問題」も引かれていた．ありがとうございます．この旧稿は堀敏一先生が自著『曹操』に引用してくださったが，常氏は『曹操』の中国語訳も見ておられるようだ．この「曹憲」が曹操の娘なのか，それとも別人なのか，なかなか判断が難しいのだが，その難問をまた突きつけられたようである．せっかくいただいたのだから，ちゃんと拝読して返信すべきなのだが，時間がかかりそうだ．<br />
]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 06 Apr 2026 20:23:05 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-04-06T20:23:05+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>図像の西方的要素</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33926334/</link>
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      <description><![CDATA[不勉強で知らなかったのだが（ほんとうに恥ずかしい），伏羲女媧や西王母の図像には西方起源の要素が見出せるという理解が広く行なわれているらしい．首肯できるか否かは簡単な問題ではないし，2024年の拙著の内容には直接関わらないので，スルーすることになるだろうが，河西地域出土の画像塼の図像などはほとんど検討対象にはなっていないようだ．棺板に描かれた稚拙な伏羲女媧像を見慣れているせいか，西方起源と言われてもあまりピンと来ないというのが正直なところ．]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 05 Apr 2026 20:10:03 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-04-05T20:10:03+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>友誼路墓群</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33925623/</link>
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      <description><![CDATA[あらためて発掘報告書の第一章「前言」を整理メモをとりながら読む．どうも推測は間違っていたようだ．発掘は友誼路の直下から西の方向に進められ，亀茲故城東側の護城河とぶつかった．これは第三次発掘の第二段階．第三次発掘全体で，晋～初唐墓が525基，宋元期が17基．前者が後者を圧倒している．しかしさらに西に進んだ第四次発掘では，魏晋南北朝期76基，唐代50基に対して唐代以後1102基で，後者が前二者をはるかに圧倒している．故城址との位置関係の詳細がわからないので，なかなか判断は難しいが，あまり想像を逞しくしていると，とんだ間違いをおかしかねない．なおM391の上にM30が築造されたと書いたが，第一次発掘でも，墓道を有するM8の墓室の横にM10がへばりついているような図になっている．M8は墓道を有する塼質墓で，M10は竪穴塼質墓であろうか．竪穴塼質墓とおぼしきM9にもかぶさるようにしてMという記号があるので，M9も未発掘の墓と重なっていたのかもしれない．第一次発掘区は墓群のなかではもっとも東側に位置しているが，亀茲故城よりも最も離れ，最も東側に位置するこの区域のさらに東側には墓域は拡がっていないのだろうか．友誼路の東側ということになるが，この一帯は未発掘のようである．<br />
]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 04 Apr 2026 16:55:18 +0900</pubDate>
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    </item>
    <item>
      <title>訃報</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33925118/</link>
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      <description><![CDATA[本日，三上喜孝氏の訃報に接した．1969年のお生まれだから私とは20歳近くの差がある．歴博の平川南先生の科研でご一緒させていただいたが，氏との交流はそれ以前に遡る．慎んでご冥福をお祈りします．<br />
]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 03 Apr 2026 20:33:54 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-04-03T20:33:54+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>荒見泰史「敦煌の西王母信仰と唱導」</title>
      <link>http://sekio516.exblog.jp/33924309/</link>
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      <description><![CDATA[『明治大学古代学研究所紀要』第31号，2022年．<br />
<br />
著者の関心は，唐代以降にあるのだが，前提として，以下のような叙述がある．<br />
<br />
<br />
……漢代には人口がすでに今日の四分の一ほどにまで達していたことがわかる訳である．確かにそうした時代に始まる漢人の古墓が少なからず発見されている*．<br />
こうした（前漢時代に始まった漢族を中心とする移民の，という意味だろう）古墓を調査していると，後漢の頃にはすでに西王母の信仰が見られることに気づく．例えば87DFM133や91DFM1，95DFM118に西王母の「勝」がかたどられる図案が見られることがあげられる．そして西晋墓には同じく「勝」がかたどられるほか，単独の西王母とみられる画磚や，両脇に伏羲と女媧を配する西王母の像が描かれるようになる．また敦煌の画磚には多くの西王母とみられる女神像が描かれている．<br />
<br />
<br />
＊には註が入っており，以下のような文章がある．<br />
<br />
<br />
敦煌の古墓の発掘については戴春陽『敦煌佛爺廟湾』（文物出版社，1998年），関尾史郎『もうひとつの敦煌』（高志書院，2011年）等参照．<br />
<br />
<br />
後漢時代に西王母信仰が見られることの根拠として，具体的に3基があがっているが，いずれも西晋時代以降である．もちろん私も上の拙著で3基が漢代の古墓だとは述べていない．著者の誤解であろう．ちなみに『敦煌仏爺廟湾』ではなく，書名は『敦煌佛爺廟湾西晋画像磚墓』である．中を精読するまでもなく，ここに収録されている87DFM133と95DFM118は正しく「西晋画像磚墓」なのである．91DFM1も同じ．門楼に「勝」らしきものがあるのは，魏晋墓以降である．<br />
]]></description>
      <dc:subject>その他</dc:subject>
      <dc:creator>s_sekio</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 02 Apr 2026 17:02:55 +0900</pubDate>
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