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  <title>関尾史郎のブログ</title>
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  <modified>2026-03-08T20:44:57+09:00</modified>
  <author><name>s_sekio</name></author>
  <tabline>東洋文庫研究員・新潟大学名誉教授の関尾史郎の仕事用のブログです．出土史料を用いて中国古代史を研究しています．本ブログは，教育・研究のために2005年に立ち上げました．現在は日々の研究の営為を中心に紹介しています．またまとまった成果はnoteのサイト（https://note.com/nakazato211/）上で公表していますので，こちらをご覧ください．</tabline>
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    <title>司著の紹介記事</title>
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    <issued>2026-03-08T20:44:00+09:00</issued>
    <modified>2026-03-08T20:44:57+09:00</modified>
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    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[司豪強『前涼与周辺政権関係研究』の紹介記事をnoteのサイトNakazato Laboにアップしました．<br />
<br />
https://note.com/nakazato211/n/n6d658f4c4524<br />
<br />
<br />
もちろん無課金です．本書はタイトルに違い，前涼が西晋最後の元号建興を奉用し続けた事実に対する言及がほとんどありません（既述）．僅かな『晋書』張軌伝の記事を引いているだけで，出土史料に対する言及もありません．奉用の理由についてもほとんど述べられていませんが，断片的な言及（奉用を軽視している証しですが）に留まっている真相についてはいずれ別途深堀りしたいと思います．<br />
]]></content>
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    <title>司豪強『前涼与周辺政権関係研究』再び</title>
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    <issued>2026-03-07T15:51:00+09:00</issued>
    <modified>2026-03-07T15:51:44+09:00</modified>
    <created>2026-03-07T15:51:44+09:00</created>
    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[先々月，修理に出したばかりのデスクトップがまた起動しなくなり，昨日はお休み．今朝，いろいろといじっていたら動き出した．表記の本，サイトに新刊紹介をアップしようと思い，書きかけていたのだが，しばらく中断していた．今日，気を取り直して，再読しつつ，ポイントをメモ．書評ではなく，新刊紹介なので，早くコンパクトにまとめたい．第一章「涼州与西晋」は，禿髪樹機能の乱から始まり，八王の乱の記述が続く．全398頁中，105頁が割かれており，全6章中で最多を誇るが，涼州や張軌に直接関係のない論述が多く，その分冗長な感は否めない．<br />
]]></content>
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    <title>あらためて</title>
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    <issued>2026-03-05T17:07:00+09:00</issued>
    <modified>2026-03-05T17:07:16+09:00</modified>
    <created>2026-03-05T17:07:16+09:00</created>
    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[昨日書き込んだ拙稿「敦煌与吐魯番」では，あらためて随葬衣物疏・鎮墓瓶（銘）・塼画壁画（図像資料）・墓表などが，魏晋・〈五胡〉時代における敦煌の地域社会や，敦煌と吐魯番との関係性を考える上で唯一無二の史料であることを強調した．実証を旨とする論文ではなく，小文であるという点では説得力が十分ではないが，主張に間違いはないはずだ．敦煌学では，今までの内容（敦煌文献・壁画・造像など）に加えて漢代の簡牘，とくに近年懸泉置から出土した漢代の懸泉置漢簡に対する関心が高まりを見せている．たしかに東西交流史には面白いデータを提供してくれるし，無視できない価値を有している．しかし文献・文書といい，簡牘といい，出土文字資料の王道のようなものばかりである．「史料」とは何か，を考えた場合，「王道」であってもほんの一部でしかない．硬直した歴史観や方法ばかりでは，「歴史学は発展しない」ということである．「王道」ばかりにしか興味のない歴史研究者には「歴史学を発展」させることはできないのではないか，と思えて来た．もちろん私のような「邪道」な歴史研究者に「歴史学を発展」させることができるとも思えないが．半世紀近く，歴史研究に勤しんできた者として，「歴史学の発展」（「歴史の発展」ではない!）とは何か，最近よく考えるようになった．]]></content>
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    <title>『名家談敦煌学』</title>
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    <issued>2026-03-04T20:35:00+09:00</issued>
    <modified>2026-03-04T20:35:15+09:00</modified>
    <created>2026-03-04T20:35:15+09:00</created>
    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[旧稿を改訂して改題した「敦煌与吐魯番」と題する小文を昨日ようやく書き上げて，日文原稿を一太郎からwordに変換した上で，劉進宝先生に送って，今日は久しぶりに完全休養．夕方，デスクトップを起動しようとしたが，起動しない．こちらも完全休養のつもりのようだ．でも明日は動いてくれないと困るのだが．]]></content>
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    <title>『國立中央博物館所藏敦煌佛教寫經』</title>
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    <issued>2026-03-03T14:45:00+09:00</issued>
    <modified>2026-03-03T14:45:54+09:00</modified>
    <created>2026-03-03T14:45:54+09:00</created>
    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[ソウルの国立中央博物館から東洋文庫経由で本日届く．「日帝強占期資料調査報告56輯」とある．全文ハングルなので，何ともお手上げなのだが，鮮明な写真，精緻な分析がほどこされていることがわかる．収録された写経の一つ，「大智度論」巻十二には，「開皇十三年歳次癸丑四月八｣□(日)李思賢敬寫供養｣という題記がある．じつは池田温『中国古代写本識語集録』には，313「大智度論巻十三李思賢題記」（所蔵不明／題記改行字処未詳）として，同文が3行として掲げられている．ちなみに，<br />
314「大智度論巻四十一李思賢題記」B.L.S.227<br />
315「大智度論巻四十二李思賢題記」B.L.S.5130<br />
316「大智度論巻四十四李思賢題記」B.L.S.457<br />
317「大智度論巻四十七李思賢題記」B.L.S.4967<br />
318「大智度論巻五十李思賢題記」B.L.S.4954<br />
319「大智度論巻五十一李思賢題記」B.N.P.2199<br />
320「大智度論巻五十三李思賢題記」未詳（『文物』1959年第1期）<br />
321「大智度論巻五十八李思賢題記」北0285<br />
322「大智度論巻六十二李思賢題記」京博（『守屋図録』）<br />
というように，同日同人で同文の題記を有する「大智度論」の各巻が他にも各処に分蔵されている．<br />
礼状（御礼メール）はどこに出せばよいのだろう．悩む．<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
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    <title>名家談敦煌学</title>
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    <issued>2026-03-02T20:56:00+09:00</issued>
    <modified>2026-03-02T20:56:36+09:00</modified>
    <created>2026-03-02T20:56:36+09:00</created>
    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[翻訳のアテがないまま，劉進宝氏から依頼のあった表記の論集の原稿を進める．2008年に書いた小文の参考文献データを最新のものに取り替え，最終節を新たに書き足す作業．簡単なようで，けっこうむつかしい．敦煌吐魯番学会の40周年論集の鄭炳林論文にふれながら，私見を前面に出そうと決めた．明日には何とか終わらせようと思う．]]></content>
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    <title>庫帳簿と雑帳簿</title>
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    <issued>2026-03-01T10:15:00+09:00</issued>
    <modified>2026-03-01T10:15:09+09:00</modified>
    <created>2026-03-01T10:15:09+09:00</created>
    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[「庫帳簿」は21点．いずれも細めの牘（太めの簡）で，末尾に「某月某日庫吏××白」とあってそれ自体が「白」文書．うち何点かには左上端に草書の大字で「若」（諾）とあり，臨湘侯相が承諾したものである．この「若」字の有無が何を意味するのか，気になるが，よくわからない．「雑帳簿」は15点で，内容は一見すると多様．<br />
（1）木牘で「白」文書．ただその主体は「清公掾」という意味不明の肩書き．<br />
（2）木牘で，これも掾孫儀の「白」文書．<br />
（3）～（11）木簡で，集計簡．さきに木簡の倉庫莂があったが，その集計簡に相当するのだろう．<br />
（12）以下の4点はよくわからない．ただ（13）は「右青州病十三人」，（14）は「蔡州病･･･人」とあるようなので，同類の集計簡のよう．蔡州は不明（隋以降の設置）ながら，青州はあの青州のことか．だとしてもよくわからない．<br />
]]></content>
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    <title>倉帳簿</title>
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    <issued>2026-02-28T19:31:00+09:00</issued>
    <modified>2026-02-28T19:31:51+09:00</modified>
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    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[竹木牘の中冊には籤牌や各種の帳簿が収録されているが，帳簿の一つである倉帳簿には61点の簡が収載されている．このうち（1）から（17）の17点は，簡の中程に「同文」記号を有する莂である．ただ竹簡ではなく，木簡である点に特異性がある．それに対して，（18）以下の44点のほとんどは木牘で，最終行下端に「××白」とあり，これ自体が「白」文書という体裁をとっている．両者を一括して「倉帳簿」とするのには無理があるのではないか．文書としての動き方や機能には大きな違いがあるように思われる．ただ（21）だけは木簡で，中程より下に「同文」記号が認められるので，莂であろう．]]></content>
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    <title>名刺簡・続</title>
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    <issued>2026-02-27T19:44:00+09:00</issued>
    <modified>2026-02-27T19:44:44+09:00</modified>
    <created>2026-02-27T19:44:44+09:00</created>
    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[昨日アップした名刺簡だが，唯一，（1）庫番号68228だけは，冒頭に「弟子」とはかった．「長沙安平史陳沫再拜」で，長沙郡安平県の「史」だった．これは職名で，本貫ではないが，現地採用だろうから，長沙郡安平県は本貫でもあったに違いない．しかし「弟子」簡ではなく，「本貫」簡だとも言い切れない．行書が多いなかで，（2）･（5）･（8）などと同じく楷書であるが，他の名刺簡と異なり，中程に「謁」字がある．名刺簡と同じような大きさだが，汎用性の高い名刺ではなく，一回限り有効な名謁なのである．下段右側に小字で「送財用大〓(竹冠+下)十□」とあり，〓を「筭」の異体字とする．これが特定の事案に相当するだろう．興味深いのは，本貫やあざなを下段に小字で書き込む場合は，左側なのだが，この事案は右側に小字で書かれていることである．ここまで細かな申し合わせのようなものがあったのだろうか．<br />
結局，名謁が1点，名刺が8点ということになり，名刺簡は全部が「弟子」簡だったということになる．<br />
]]></content>
  </entry>
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    <title>名刺簡</title>
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    <issued>2026-02-26T19:16:00+09:00</issued>
    <modified>2026-02-26T19:16:26+09:00</modified>
    <created>2026-02-26T19:16:26+09:00</created>
    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[竹木牘の下冊には，名刺簡が集められている．以前，『三国志の考古学』で名刺について論じた際，南京のように多くの人びとが各地から集まるような都会（国都）では，本貫を頭書した名刺が，また長沙のような地方では地元の人士が集まるので，本貫は下段に小字で書いた名刺が，主に使われていたと考えた．出土事例の傾向から導き出された考えだが，大丈夫だろうか．冒頭だけ引く．<br />
<br />
（1）庫番号68228<br />
長沙安平史陳沫再拜<br />
（2）68251<br />
［上缺］再拜<br />
下段小字で「武陵孱陵字文仲」とあるので，本貫が頭書きされていた可能性はない．<br />
（3）68293<br />
弟子莫□再拜<br />
下段小字で「臨湘字元文」とある．<br />
（4）68306<br />
弟子過讓再拜<br />
（5）68314<br />
［上缺］再拜<br />
下段小字で「昌陽中盧字幼先」とあるので，本貫が頭書きされていた可能性はない．<br />
（6）68391<br />
弟子唐□再拜<br />
下段小字で「長沙臨湘字少白」とある．<br />
（7）68396<br />
弟子呂承再拜<br />
（8）原編号2697<br />
弟子黄朝再拜<br />
下段小字で「長沙益陽字元寶」とある．<br />
（9）68492<br />
弟子潘郡再拜<br />
下段小字で「字元國」とある．<br />
<br />
<br />
ほぼ全てが弟子簡（冒頭に「弟子」）で，本貫簡（冒頭に本貫の「郡・県」）ではないことが確認される．拙著の見解があらためて確認できた．安堵．<br />
]]></content>
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    <title> 破莂保據文書・続</title>
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    <issued>2026-02-25T20:57:00+09:00</issued>
    <modified>2026-02-25T20:57:13+09:00</modified>
    <created>2026-02-25T20:57:13+09:00</created>
    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[昨日の「自坐」だが，常套句でもあり，そんなに深刻に考える必要はないのかもしれない．簿に誤りがあったら，自分が責任を取る，といった程度の重さ（軽さ）なのではないか．簿の作成者であり，送り手なのだから，当然と言えば当然．ただ破莂保據とあり，頭頂部に同文記号があるのだから（（7）だと，背面にも同文記号がある），いつどうやって「破莂」したのだろう．郷担当の勧農掾や邑下担当の都市掾の相手（送り先）は戸曹掾であろうか．もう一方はどのような文面だったのだろうか．記号ならぬ同文だったという理解もあろうが，それだと相手方がわからず，破莂保據する意味がない．ところで，（4）や（16）は「詣戸曹」と特記された都市掾や勧農掾からの「關白」文書だった．とくに（16）は「右別爲簿如牒」とある．破莂保據文書と同じようだ．これらの「關白」文書と破莂保據文書とは同じような動き方をしたのではないか．発信者と受信者は同じである．<br />
思うに，「關白」文書は非ルーティン，破莂保據文書はルーティンだったような気がする．また後者は勧農掾・都市掾と戸曹掾の間，前者は勧農掾・都市掾と戸曹（掾個人ではないという意味）の間（だから，「被曹敕」というのがほぼ常套句になったのではないか）で交わされたということではないか．<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>破莂保據文書</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://sekio516.exblog.jp/33899506/" />
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    <issued>2026-02-24T20:52:00+09:00</issued>
    <modified>2026-02-24T20:52:38+09:00</modified>
    <created>2026-02-24T20:52:38+09:00</created>
    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[これも，竹木牘の上冊に収録されている．<br />
<br />
（1）68538（庫蔵号）<br />
広成郷勧農掾／被書條列･･･爲簿／破莂保據<br />
（2）68506<br />
広成郷勧農掾／被書條列･･･爲簿／破莂保據<br />
（3）68523<br />
平郷勧農掾／被書條列･･･爲簿／破莂保據<br />
（4）68350<br />
南郷勧農掾／被書條列･･･爲簿／破莂保據<br />
（5）68198<br />
南郷勧農掾／被書條列･･･爲簿／破莂保據<br />
（6）68534<br />
南郷勧農掾／被書條列･･･爲簿／破莂保據<br />
（7）68259<br />
小武陵郷勧農掾／被書條列･･･爲簿／破莂保據<br />
（8）2510（原編号）<br />
都鄕勧農掾／被書條列･･･爲簿／破莂保據<br />
（9）2547（原編号）<br />
都鄕勧農掾／被書條列･･･爲簿／破莂<br />
（10）68366<br />
東郷勧農掾／被書條列･･･爲簿／破莂保據<br />
（11）68233<br />
東郷勧農掾／被書條列･･･爲簿／破莂保據<br />
（12）2545（原編号）<br />
都市掾／被書條列･･･爲簿言／破莂保據<br />
<br />
<br />
この12点．全て牘の頭頂部に「同文」を記号化した複数の横画や「×」マークが確認できる．発出者はいずれも郷の勧農掾で，1点だけ都市掾．都市掾は「邑下」の居住者（郷・里に編成されず）を管轄していたのだろうが，これも含めて管轄下にあった吏の簿籍を作成し，提出した際のものと思われる．いずれも「□（発出者の名）自坐」の文言が末尾近くにある．「破莂保據」は誓約のような感じだが，「自坐」を宣言しており，強い拘束性も感じられる．対等な誓約ではなかったのだろうか．<br />
今までの「同文」記号への理解が揺らぎかねない．<br />
<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>「關白」文書・続</title>
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    <issued>2026-02-23T19:59:00+09:00</issued>
    <modified>2026-02-23T19:59:40+09:00</modified>
    <created>2026-02-23T19:59:40+09:00</created>
    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[昨日は気がつかなかったのだが，定名は（年月日）＋発信者＋「白爲」･･････「事」という原則の上に行なわれている．まさに「白」文書である．これを〈五胡〉時代の「白」文書も踏襲すべきであろう．（3）には「謹羅列人名爲簿如牒」，（9）には「牒謹列言」，（10）には「謹列迪（人名）辭狀如牒」，（13）に「謹列見辭狀如牒」，（14）に「謹列依種數如牒」，（16）に「右別爲簿如牒」とある．（9）以外は「如牒」とある．「牒の如し」なのか「牒するが如し」なのか．瑣末なようだが，「牒」が動詞なのか，あるいは「牒」という特定の官文書の名称なのか．<br />
〈五胡〉時代のトゥルファン文書中の官文書を論じた柳洪亮氏は，「白」という文書の存在を認めず，これらは「牒」文書だとしたが，走馬楼呉簡から「白」文書の存在はもはや動かしがたい事実となった．整理組の定名からもそれは明らかである．ただ「白」文書中に「牒」字が見られることは〈五胡〉時代のトゥルファン文書と同じだが，「牒の如し」と読むにせよ，「牒するが如し」と読むにせよ，「白」文書自体が（3）と（16）にあるような「簿」だったわけではない．ただ（3）も（16）も，上下2段にわたって編綴痕や，編綴のために編綴箇所の字間が広くとられているので，「簿」の本体（竹簡群）にこの牘が附されていたのではないか．（14）も「種數」を列挙した「簿」のようなものに附されていたのではないか．編綴痕がはっきりとわかる．「依」字が落ち着かないが，四角で囲ってあり，推補なので，あるいは別字だった可能性もある．<br />
]]></content>
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  <entry>
    <title>「關白」文書</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://sekio516.exblog.jp/33897925/" />
    <id>http://sekio516.exblog.jp/33897925/</id>
    <issued>2026-02-22T16:38:00+09:00</issued>
    <modified>2026-02-22T16:38:25+09:00</modified>
    <created>2026-02-22T16:38:25+09:00</created>
    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[本日午後予定されていた長沙呉簡研究会の勉強会はネット環境不良で中止になってしまったが，あらためて竹木牘巻に収録された「關白」文書を開いてみた．<br />
<br />
（1）68353（庫蔵号）<br />
渚下賊曹史／叩頭死罪白／被曹敕／誠惶誠恐叩頭死罪死罪／詣□曹／白<br />
（2）39207／伍3599<br />
謹白／･･････／從史關白<br />
（3）68321／肆3904(1)<br />
從掾位／叩頭死罪白／謹／惶怖叩頭死罪死罪／詣倉曹／白<br />
（4）68328／肆4550(1)<br />
都市掾／叩頭死罪白／被曹敕／誠惶誠恐叩頭死罪死罪／詣戸曹／白<br />
（5）68379／伍3726(1)<br />
南郷勧農掾／叩頭死罪白／被曹敕／誠惶誠恐叩頭死罪死罪／詣功曹／白<br />
（6）2695（原編号）<br />
南郷勧農掾／叩頭死罪白／被曹敕／誠惶誠恐叩頭死罪死罪／詣戸曹／白<br />
（7）68244<br />
小武陵郷勧農掾／叩頭死罪白／戊戌記曰／誠惶誠恐叩頭死罪死罪／詣功曹／白<br />
（8）68540<br />
録事掾／死罪白／死罪死罪／［判語］／白<br />
（9）68380<br />
中郷勧農掾／叩頭死罪白／被曹敕／誠惶誠恐叩頭死罪死罪／詣功曹／白<br />
（10）29999<br />
録事掾／死罪白／被敕／誠惶誠恐叩頭死罪死罪／詣金曹／白<br />
（11）30000<br />
録事掾／叩頭死罪白／･･････被督郵敕／誠惶誠恐叩頭死罪死罪／［若］／白<br />
（12）68320<br />
都市史／叩頭死罪白／被曹敕／誠惶誠恐叩頭死罪死罪／詣金曹／白<br />
（13）2673（原編号）<br />
中賊曹掾／叩頭死罪白／被曹敕／誠惶誠恐叩頭死罪死罪［若］／白<br />
（14）68370<br />
兼渚下賊曹史／叩頭死罪白／･･････／誠惶誠恐叩頭死罪死罪／詣尉曹／白<br />
（15）68378<br />
模郷勧農掾／叩頭死罪白／被辛丑書曰／誠惶誠恐叩頭死罪死罪／詣功曹／白<br />
（16）68329<br />
都鄕勧農掾／叩頭死罪白／被曹敕／誠惶誠恐叩頭死罪死罪／詣戸曹／白<br />
（17）68347<br />
広成郷勧農掾／叩頭死罪白／被曹敕／誠惶誠恐叩頭死罪死罪（下缺）<br />
（18）68199<br />
功曹史／白／（下缺）<br />
<br />
<br />
こんな感じで，掾・史が発出する．多くは，「叩頭死罪白」で本文に続くが，本文冒頭に「被曹敕」とあり，具体的な事案について述べられ，最後は「誠惶誠恐叩頭死罪死罪」で本文が終わる．そして「詣某曹」，最後に日付と「白」．<br />
紀年がないのがほとんどで，「白」が簡単な様式だったことがわかる．最後の「某曹」が「被曹敕」の「曹」であることは疑いない．<br />
3（被曹敕がない），7（被曹敕の代わりに戊戌記曰），10（曹字がなく，被敕だが，意味するところは同じだろう），15（被曹敕の代わりに被辛丑書曰）が少し違う．それ以外は，1，4，5，6，7，9，12，14，16，17?が全て同じ書式．<br />
しかし明らかに「詣某曹」とないのが3点ある．8，11，13である．これは白が「某曹」を宛先としていなかったことを意味しよう．そしてこのうち，8には判語が，11と13には「若」（諾）字がある．これらは某曹ではなく，臨湘侯相に直接届けられ，彼の判断が書き込まれたということではないか．8は叩頭・誠惶誠恐となかったり，逆に略式だが，11は被督郵敕，13は被曹敕とあるので，掾・史への命令伝達は他のものと大きな違いはないようだ．<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>司豪強・馬振穎「関隴政局演変与張氏前涼政権的奠基」</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://sekio516.exblog.jp/33896615/" />
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    <issued>2026-02-20T18:50:00+09:00</issued>
    <modified>2026-02-20T18:50:02+09:00</modified>
    <created>2026-02-20T18:50:02+09:00</created>
    <author><name>s_sekio</name></author>
    <dc:subject>その他</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[副題は「以西晋末期涼州与秦・雍二州関係為中心」．『青海民族大学学報』2019年第3期．<br />
念のため，CNKIで取り寄せる．コンテンツは以下の通り．<br />
<br />
<br />
一　初刺涼州：参与関隴乱局<br />
二　緊密互動：結交南陽王模<br />
三　尊王攘夷：扶保瀕亡晋室<br />
四　保拠涼州：構建隴右防線<br />
五　結語<br />
<br />
<br />
最後の「結語」を除き，『前涼与周辺政権関係研究』の第一章「涼州与西晋」の第三節「張氏涼州与秦雍二州関係」と，コンテンツも本文も同じ．<br />
<br />
<br />
]]></content>
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