2008年 11月 18日
賦税納入簡と勧農掾 |
竹簡2(下)を見終わった記念に.
11月11日付けで賦税納入簡にまつわる疑問をエントリーしたが(http://sekio516.exblog.jp/tb/8946689),その後,谷口建速氏が新作「長沙走馬楼呉簡にみえる「限米」―孫呉政権の財政に関する一考察―」(『三国志研究』第3号:49-65,2008年)で論じているのではと思い返し,谷口氏から拝領した抽印を拝読したら,思っていた通りで,限米に関する賦税納入簡に見える納入者の身分について総括的に論じられていた.私の謎はほとんど谷口氏によって解決された.そこで,一点だけ.
賦税納入簡には,表題の「勧農掾」が納入者として出てくる簡がある.5888,5896,および8883などである(おそらく6181も).これ以外にもただの「掾」が8902,8909,および8928に出てくる.郡の属吏にも納税義務があったことがはっきりとわかる(とくに新発見ではないが).これらの納入簡は,いずれも冒頭に郷名が明記されているのに対して,丘名は一切見られない.ということは,丘を単位とした把握の埒外にあったということになる.また8883,8902,8909,および8928など税種が判別するものはいずれも鹿などの皮革を納入したものである.
ところで8883は桑郷の勧農掾劉平のものだが,彼は8879に郷吏の劉平として見えている.おそらく8884の「□吏劉□」も同じだろう.さらに8913の「郷吏劉卒」の「卒」は「平」と釈読すべきだったのではあるまいか.本当にこれらが劉平その人本人に賦課された皮革の納入記録であったとすれば,かなりの頻度と数量になるもようなので,他の解釈もありえようが,8913は「羊皮」の納入に関するものであり,「鹿」や「麂」以外にも対象となった動物があったことがわかる.この時代,この地域に「羊」が広範に繁殖していたのであろうか?また「羊皮」とはいかなるものだったのであろうか.まさか羊皮紙の原料ではあるまい.
ただ「勧農掾」が「郷吏」とはどういうことだろう?郡吏ではないのか?一人で複数の郷を担当していたらしいことは,吏民田家莂の表題簡からも知られるところではあるし.「郷吏」とは,「郷を担当する吏」,「郷に置かれた吏」,はたまた「郷に住む吏」か.まさかそんなことはないだろうが,また新たな疑問ではある.
11月11日付けで賦税納入簡にまつわる疑問をエントリーしたが(http://sekio516.exblog.jp/tb/8946689),その後,谷口建速氏が新作「長沙走馬楼呉簡にみえる「限米」―孫呉政権の財政に関する一考察―」(『三国志研究』第3号:49-65,2008年)で論じているのではと思い返し,谷口氏から拝領した抽印を拝読したら,思っていた通りで,限米に関する賦税納入簡に見える納入者の身分について総括的に論じられていた.私の謎はほとんど谷口氏によって解決された.そこで,一点だけ.
賦税納入簡には,表題の「勧農掾」が納入者として出てくる簡がある.5888,5896,および8883などである(おそらく6181も).これ以外にもただの「掾」が8902,8909,および8928に出てくる.郡の属吏にも納税義務があったことがはっきりとわかる(とくに新発見ではないが).これらの納入簡は,いずれも冒頭に郷名が明記されているのに対して,丘名は一切見られない.ということは,丘を単位とした把握の埒外にあったということになる.また8883,8902,8909,および8928など税種が判別するものはいずれも鹿などの皮革を納入したものである.
ところで8883は桑郷の勧農掾劉平のものだが,彼は8879に郷吏の劉平として見えている.おそらく8884の「□吏劉□」も同じだろう.さらに8913の「郷吏劉卒」の「卒」は「平」と釈読すべきだったのではあるまいか.本当にこれらが劉平その人本人に賦課された皮革の納入記録であったとすれば,かなりの頻度と数量になるもようなので,他の解釈もありえようが,8913は「羊皮」の納入に関するものであり,「鹿」や「麂」以外にも対象となった動物があったことがわかる.この時代,この地域に「羊」が広範に繁殖していたのであろうか?また「羊皮」とはいかなるものだったのであろうか.まさか羊皮紙の原料ではあるまい.
ただ「勧農掾」が「郷吏」とはどういうことだろう?郡吏ではないのか?一人で複数の郷を担当していたらしいことは,吏民田家莂の表題簡からも知られるところではあるし.「郷吏」とは,「郷を担当する吏」,「郷に置かれた吏」,はたまた「郷に住む吏」か.まさかそんなことはないだろうが,また新たな疑問ではある.
by s_sekio
| 2008-11-18 23:24
| 余滴