2008年 07月 21日
「石刻以前」 |
昨日,「五胡の会」終了後の懇親会で,魏晋時代の名刺木簡とされているもののなかに,官職・姓名・郡県郷里・年齢・字(あざな)を列記した木簡があり,これは墓誌の機能を有するのではないか,という長沙呉簡研究会の6月例会で提示した仮説を執拗に披露した.石刻研究者が多かったというのも一因だから,墓誌の起源が議論されているけれども,石刻に対象を限定しないで視野を広げる必要があるという提言でもあった.漢代の墓前に建てられる墓碑→魏晋以降の墓中の墓誌という変遷のプロセスを否定するつもりはないが,墓内に埋納されて,被葬者を特定するための役割を果たしたもの,という点においては,この種の木簡が石刻の墓誌に先行していたことは疑いないだろう.「石刻以前」という論文に結実させるつもりでいるのだが,じつはトゥルファンでは石・土製の墓表以外に,木製の墓表が出土していた.耐久性を考えると,木製が代用品だったと断定してよいか疑問も残るところだが,『新獲吐魯番出土文献』をめくっていると,この種の木製の墓表は最近も出土しているようで(97TSYM1:22).「木牌」と称されている.
被葬者を特定するために,遺族はどのようなアイテムを用意したのだろうか.あるいは特定する必要を感じなかったのであろうか.「墓誌」という概念を今一度,考えなおす必要もあるのではないか.少なくとも,墓誌=石刻という図式は揚棄されるべきであろう.そんな安易な図式を思い描いている研究者などいないことを願っているが.
被葬者を特定するために,遺族はどのようなアイテムを用意したのだろうか.あるいは特定する必要を感じなかったのであろうか.「墓誌」という概念を今一度,考えなおす必要もあるのではないか.少なくとも,墓誌=石刻という図式は揚棄されるべきであろう.そんな安易な図式を思い描いている研究者などいないことを願っているが.
by s_sekio
| 2008-07-21 19:11
| 余滴