2007年 10月 29日
拝読(07/10/27) |
長沙呉簡研究会の例会に出席するため上京,往復の新幹線の車中で.
稲住哲朗「北斉祖珽考―その政治的姿勢を中心として―」
北斉政治史上における祖珽の位置を探ったもの.日中で多くの先行研究に恵まれている祖珽だが,著者は,「総合的な把握」を標榜し,実像を描き出すことに努めている.その結果,彼は門閥主義という範疇では捕捉できず,胡漢対立という枠も有用ではなく,「帝権の強化」や「国家の安定」を希求していたとする.著者に言わせれば,祖珽が目ざしたのは,「現実主義的」だったという.北朝後期という時期を考えれば,「胡漢対立」よりも「胡漢融合」という視点から考えるというのも頷けるが,目標が「帝権の強化」や「国家の安定」であるにせよ,重要な論点であるだけに,関係史料の分析がもう少し深くても良かったのではないか.と同時に,民族の「和解」や「融合」は,時が経てば必ず可能なのだろうか,という疑問もないわけではない(著者がそう明言しているわけではないが).
中村威也「批評と紹介:長沙市文物考古研究所・中国文物研究所(編)『長沙東牌楼東漢簡牘』」
有益な書評であることは,前に述べたごとくだが,結局,この史料群の価値はどこにあるのだろう.ちょうど研究会でも高村武幸氏が言及されたので,まことにタイムリーと言える.でも,文書簡はわずかで,それを取り上げれば,それでおしまい,ということになりかねない様子である.しかし史料群として見た場合,なお固有の存在意義なり,即した取り上げ方なりがあるのではないか?それを探るのが,私の仕事のようなものだが,さしあたり,木簡・竹簡・木牘の使い分けなどはその足がかりであろうか.
室山留美子「北魏の郡望―上谷寇氏を中心に―」
著者は最近,モノから文字に早いペースでシフトしている.上谷寇氏の「上谷昌平」という本籍が仮託されたこと,実際には洛陽に居住し,そこに埋葬されたことなどを明らかにする.一つのケース・スタディではあるが,一般化が強く意識されており,先行研究の到達点を超えることに成功していると思う.ただし,「はじめに」で言及されている先行研究との異同を「おわりに」で,再度確認しても良かったのではないか.また「本籍地」はともかく,「居住地」と「本拠地」という概念(「本籍地」よりも一般的であるがゆえに)についても,明確な規定がなされるべきではなかったか,と思う.
稲住哲朗「北斉祖珽考―その政治的姿勢を中心として―」
北斉政治史上における祖珽の位置を探ったもの.日中で多くの先行研究に恵まれている祖珽だが,著者は,「総合的な把握」を標榜し,実像を描き出すことに努めている.その結果,彼は門閥主義という範疇では捕捉できず,胡漢対立という枠も有用ではなく,「帝権の強化」や「国家の安定」を希求していたとする.著者に言わせれば,祖珽が目ざしたのは,「現実主義的」だったという.北朝後期という時期を考えれば,「胡漢対立」よりも「胡漢融合」という視点から考えるというのも頷けるが,目標が「帝権の強化」や「国家の安定」であるにせよ,重要な論点であるだけに,関係史料の分析がもう少し深くても良かったのではないか.と同時に,民族の「和解」や「融合」は,時が経てば必ず可能なのだろうか,という疑問もないわけではない(著者がそう明言しているわけではないが).
中村威也「批評と紹介:長沙市文物考古研究所・中国文物研究所(編)『長沙東牌楼東漢簡牘』」
有益な書評であることは,前に述べたごとくだが,結局,この史料群の価値はどこにあるのだろう.ちょうど研究会でも高村武幸氏が言及されたので,まことにタイムリーと言える.でも,文書簡はわずかで,それを取り上げれば,それでおしまい,ということになりかねない様子である.しかし史料群として見た場合,なお固有の存在意義なり,即した取り上げ方なりがあるのではないか?それを探るのが,私の仕事のようなものだが,さしあたり,木簡・竹簡・木牘の使い分けなどはその足がかりであろうか.
室山留美子「北魏の郡望―上谷寇氏を中心に―」
著者は最近,モノから文字に早いペースでシフトしている.上谷寇氏の「上谷昌平」という本籍が仮託されたこと,実際には洛陽に居住し,そこに埋葬されたことなどを明らかにする.一つのケース・スタディではあるが,一般化が強く意識されており,先行研究の到達点を超えることに成功していると思う.ただし,「はじめに」で言及されている先行研究との異同を「おわりに」で,再度確認しても良かったのではないか.また「本籍地」はともかく,「居住地」と「本拠地」という概念(「本籍地」よりも一般的であるがゆえに)についても,明確な規定がなされるべきではなかったか,と思う.
by s_sekio
| 2007-10-29 14:18
| 読書