2006年 12月 22日
大同・迎賓大路古墓群 |
『文物』2006年第10期に掲載された簡報によれば,2002年8月から12月にかけて発掘された同古墓群は大同市内の東郊に位置しており,発掘されたのは88座,うち北魏墓75座,明・清墓13座とのこと.附された分布図によると,古墓群の一角に「近現代墓地」が2箇所認められる.なにやら敦煌の佛爺廟湾や新店台を想起させるような状況.迎賓大路の建設中に見つかったので,発掘地区も帯状.ほとんどは単室墓ではあるが,金飾や瑠璃壷,銀碗に琥珀飾なども出土しており,厄介そう.70号墓(だけ)からは以下のような墓誌が出土している.
M70:4(27.2×14.2×4.5~4.7㎝)
天安元年歳在丙午十一月甲申
朔廿六日己酉長安人京兆郡
長安懸民叱干渇侯冢銘
M70:5(29.5×15×5㎝)
□長安人□□
ともに稚拙な陰刻である.天安元年は献文帝の466年だが,被葬者が北族であるのに,本貫をかの長安に繋いでいることも含めてなかなか興味深いものがある.ただ洛陽遷都以前の北魏前期には,大同でもこのような墓誌・墓表とは呼びがたい(呼びたくない)墓記が広く作成されていたのだろうか.「五胡」期との連続面ばかりに眼がいってしまうのだが.
M70:4(27.2×14.2×4.5~4.7㎝)
天安元年歳在丙午十一月甲申
朔廿六日己酉長安人京兆郡
長安懸民叱干渇侯冢銘
M70:5(29.5×15×5㎝)
□長安人□□
ともに稚拙な陰刻である.天安元年は献文帝の466年だが,被葬者が北族であるのに,本貫をかの長安に繋いでいることも含めてなかなか興味深いものがある.ただ洛陽遷都以前の北魏前期には,大同でもこのような墓誌・墓表とは呼びがたい(呼びたくない)墓記が広く作成されていたのだろうか.「五胡」期との連続面ばかりに眼がいってしまうのだが.
by s_sekio
| 2006-12-22 08:53
| 余滴

