2006年 09月 18日
長沙呉簡国際シンポジウム「長沙呉簡の世界―三国志を超えて―」 |
2006年9月17日(日),於お茶の水女子大学・理学部3号館7階701教室.
①阿部幸信「嘉禾吏民田家莂数値データの整理と活用」
報告者自身の編集になる「嘉禾吏民田家莂田土額一覧」の概要を紹介し,その分析例を紹介したもの.この一覧は,保有者(莂)ごとの,地段数,田土総額などを掲げたものであるが,その数値の丘ごとのばらつきを示しながら,傾斜地のみならず,より平野部にも耕地が営まれていたことを推測する.単純化して言えば,傾斜地に狭隘な棚田が営まれていたのみならず,平野部の開発も進んでいたということになるが,今でこそ開発に次ぐ開発で平坦になってしまったが,長沙の市街地もかつてはけっこう起伏に富んでいたことが確かめられるので,それをどう考慮するのか,という問題が残ろう.ともあれ,労作であるこの一覧の利用価値はこれにとどまるものではないだろうから,さらに続考を期待しよう.
②小嶋茂稔「後漢孫呉交替期における臨湘県の統治機構と在地社会」
走馬楼呉簡の分析から,郷と督郵の存在と機能を確認し,それが後漢を継承したことを,最近の東牌楼漢簡の記述から説く.また呉の時代に特有な組織・単位と考えられていた丘も,後漢時代に既に設けられていたことを,漢簡から説明する.呉簡から,税制の面などでも呉が後漢の制度を継承していたことがうかがい知れるので,ある意味ではこのような結論は予想されるところであった.丘も,この地域の自然的・人文的な特徴を反映しているとすれば,後漢時代から設けられていたとしてもおかしくはない.おそらく東牌楼漢簡を初めて取り上げた報告として記録されるであろうが,呉簡にせよ,漢簡にせよ,さらに多くの情報を引き出せたのではないだろうか.
③町田隆吉「長沙呉簡よりみた戸について」
吏民簿の形式を確定しつつ,できる限り復元しながら,その戸(同居家内集団)が,単純家族世帯,拡大家族世帯,多核家族世帯,非家族世帯など多様であることを明らかにする.敦煌・トゥルファン戸籍に関する蓄積や歴史人口学の視点・方法などが活かされている.単純家族世帯以外の戸が比較的多いという指摘は貴重である.その背景として,地域的・民族的な背景よりも,後漢以来の家族形態と考えるのが報告者の立場だが,そうなると,「五口之家」との整合性をどう考えれば良いのだろうか.理念と実態の齟齬は認めなければならないが,やはり地域的な背景を考えることも必要なのではないだろうか.
④王 素「中日長沙呉簡研究述評」
今まで日中両国で公表された長沙呉簡研究の成果に満遍なく目を通し,実に手際よく整理した報告.「長沙呉簡的性質」,「吏民田家莂的性質」,「吏民田家莂田地的性質」,「吏民田家莂的統計錯誤」,「丘的性質及其与郷・里的関係」,「戸口簿籍及其相関問題」,および「邸閣・倉・庫及其相関問題」の7つのテーマを設定,それぞれに関する先行研究の諸説を的確に位置づける.中国における長沙呉簡研究を牽引して来た報告者にしかできない報告と言えよう.ただこのような整理とはべつに,あらためて長沙呉簡研究の基礎的な成果と課題を,後漢・魏晋史,ひいては中国古代史の研究成果との関連で,見通しておく必要もあるかもしれない.
⑤宋少華「長沙出土簡牘的調査」
1950年代以降の長沙における発掘調査活動を振り返り,その中に走馬楼呉簡や東牌楼漢簡を位置づける.発掘調査の対象が都市の再開発にともない,馬王堆など郊外の墓葬から市街地の古井に移って来た過程がよくわかる(現在では馬王堆もすっかり都市化の波に呑まれてしまったが).出土簡牘の映像には,未公開のものも含まれており,四角柱のような形状の木簡が気にかかった.走馬楼呉簡以後も,東牌楼漢簡に至るまで漢代の簡牘が出土しており,小嶋報告でも問題とされた継続性を追及する条件が整備されつつある.長沙以外の湖南省からの出土例も含めれば,西晋までの情況を見通すことも不可能ではないだろう.
⑥羅 新「近年来北京呉簡研討班的主要工作」
9月9日に公刊されたばかりの『呉簡研究』第2輯に収録された主要な成果を概観した上で,直面している課題について率直に述べる.そこでは,東牌楼漢簡や湖南・郴州晋簡との比較研究や,統計的な手法への注目の必要性があらためて確認される.比較研究や統計的手法はもちろん今後の研究の深化にとって重要であろう.しかし,長沙呉簡とは,「長沙から出土した三国・呉時代の簡牘であること」をあらためて再確認することから始める必要があるのではないだろうか.そして「多くが文書ではなく,簿籍であること」も重要であろう.新出の史料群が質量ともに画期的であればあるほど,それに即した分析視角や分析方法が求められるのであって,迂遠であっても,愚直であっても,それを省いてはならないと思う.
⑦朴漢済「韓国における長沙呉簡の研究現況」
コメントという形で,韓国における長沙呉簡研究の現段階について報告.噂に違い,とても活発とは言いがたいようである.租税制度や土地制度に関わる簡牘(しかも簿籍簡牘)が多いのだから,社会経済史研究が若手研究者により推進されている韓国では,長沙呉簡にもっと注目が集まって然るべきなような気がするのだが,それは間違った理解なのだろうか.
長沙呉簡は,文書簡牘が少なく,多くが簿籍簡牘であること(したがって,単独で分析の対象となりうるものがきわめて限られていること,俗っぽく言えば論文ネタがない),このことと関連して社会経済史からのアプローチぐらいしかのぞめないこと(法制史研究にとっては史料の宝庫とは言いがたい),など障壁がいくつも立ちはだかっている.三国時代史の研究者はたくさんいるはずだが,なにしろこの時代の簡牘はまとまった出土例が今までほとんどなかったので,分析方法など体得していなかったわけで,敬遠気味なのだろう.ましてや簿籍簡牘で,最近とみに低調な社会経済史に関わるものとなれば尚更である.今回の日本側報告者のうち,阿部・小嶋両氏は気鋭の漢代史研究者であり,町田氏はよく知られた「五胡」時代史研究者であり,かつ敦煌・吐魯番学の権威である.言ってみれば,長沙呉簡の発見までは,三国時代史に関しては門外漢のような立場であった.その「門外漢性」がプラスに作用した報告ではあった.
しかし後漢・三国交替期が(その画期性をどう説明し,どう評価するかはともかく)中国史上,重要な時期であることには変わりなく,その変動の本質と具体的なプロセスをきちんと説明することが三国時代史研究には求められているはずで,そのためには,長沙呉簡はまたとない史料群である.この史料群を前にして,社会経済史とか法制史とかいう狭隘な枠・ジャンルに固執することは怠慢でしかないだろう(もちろんこのような枠自体が,環境史や技術史といった新たな視点により相対化されるべきであろうが).しかしシンポジウムの会場には,三国時代史研究者の姿は多くはなかった.韓国における長沙呉簡研究の低調さを云々する以前に,この現実こそ凝視する必要があろう.
私自身は,長沙呉簡の史料群としての性格を考えながら,当面は竹簡の分類を試み,さらにそこに見えている正体不明の諸負担について,少しでも解明できればと思っているところである.諸負担の正体を突き止めることを通じて,前後の時代との連続面(または断絶面)が明らかになればと思うからである.ただしトゥルファン出土の唐代の交付文書である領抄文書をかつて整理した経験から言うと,唐代西州の農民は,「正史」に見えている,また律令の令に定められている諸負担よりもはるかに多種多様な負担を強いられていた.したがって農民のサイドに立てば,従来の制度史研究からの説明は殆ど無意味ではないか,という思いを抱いた.長沙呉簡の賦税類竹簡を見ていても同じような思いに捉われているのである.呉・長沙郡の農民も多種多様な負担に喘いでいたと考えても,大筋で間違ってはいないだろう.
長沙呉簡研究会の内外を問わず,コメントを切望するが,多分ないだろうなあ.
①阿部幸信「嘉禾吏民田家莂数値データの整理と活用」
報告者自身の編集になる「嘉禾吏民田家莂田土額一覧」の概要を紹介し,その分析例を紹介したもの.この一覧は,保有者(莂)ごとの,地段数,田土総額などを掲げたものであるが,その数値の丘ごとのばらつきを示しながら,傾斜地のみならず,より平野部にも耕地が営まれていたことを推測する.単純化して言えば,傾斜地に狭隘な棚田が営まれていたのみならず,平野部の開発も進んでいたということになるが,今でこそ開発に次ぐ開発で平坦になってしまったが,長沙の市街地もかつてはけっこう起伏に富んでいたことが確かめられるので,それをどう考慮するのか,という問題が残ろう.ともあれ,労作であるこの一覧の利用価値はこれにとどまるものではないだろうから,さらに続考を期待しよう.
②小嶋茂稔「後漢孫呉交替期における臨湘県の統治機構と在地社会」
走馬楼呉簡の分析から,郷と督郵の存在と機能を確認し,それが後漢を継承したことを,最近の東牌楼漢簡の記述から説く.また呉の時代に特有な組織・単位と考えられていた丘も,後漢時代に既に設けられていたことを,漢簡から説明する.呉簡から,税制の面などでも呉が後漢の制度を継承していたことがうかがい知れるので,ある意味ではこのような結論は予想されるところであった.丘も,この地域の自然的・人文的な特徴を反映しているとすれば,後漢時代から設けられていたとしてもおかしくはない.おそらく東牌楼漢簡を初めて取り上げた報告として記録されるであろうが,呉簡にせよ,漢簡にせよ,さらに多くの情報を引き出せたのではないだろうか.
③町田隆吉「長沙呉簡よりみた戸について」
吏民簿の形式を確定しつつ,できる限り復元しながら,その戸(同居家内集団)が,単純家族世帯,拡大家族世帯,多核家族世帯,非家族世帯など多様であることを明らかにする.敦煌・トゥルファン戸籍に関する蓄積や歴史人口学の視点・方法などが活かされている.単純家族世帯以外の戸が比較的多いという指摘は貴重である.その背景として,地域的・民族的な背景よりも,後漢以来の家族形態と考えるのが報告者の立場だが,そうなると,「五口之家」との整合性をどう考えれば良いのだろうか.理念と実態の齟齬は認めなければならないが,やはり地域的な背景を考えることも必要なのではないだろうか.
④王 素「中日長沙呉簡研究述評」
今まで日中両国で公表された長沙呉簡研究の成果に満遍なく目を通し,実に手際よく整理した報告.「長沙呉簡的性質」,「吏民田家莂的性質」,「吏民田家莂田地的性質」,「吏民田家莂的統計錯誤」,「丘的性質及其与郷・里的関係」,「戸口簿籍及其相関問題」,および「邸閣・倉・庫及其相関問題」の7つのテーマを設定,それぞれに関する先行研究の諸説を的確に位置づける.中国における長沙呉簡研究を牽引して来た報告者にしかできない報告と言えよう.ただこのような整理とはべつに,あらためて長沙呉簡研究の基礎的な成果と課題を,後漢・魏晋史,ひいては中国古代史の研究成果との関連で,見通しておく必要もあるかもしれない.
⑤宋少華「長沙出土簡牘的調査」
1950年代以降の長沙における発掘調査活動を振り返り,その中に走馬楼呉簡や東牌楼漢簡を位置づける.発掘調査の対象が都市の再開発にともない,馬王堆など郊外の墓葬から市街地の古井に移って来た過程がよくわかる(現在では馬王堆もすっかり都市化の波に呑まれてしまったが).出土簡牘の映像には,未公開のものも含まれており,四角柱のような形状の木簡が気にかかった.走馬楼呉簡以後も,東牌楼漢簡に至るまで漢代の簡牘が出土しており,小嶋報告でも問題とされた継続性を追及する条件が整備されつつある.長沙以外の湖南省からの出土例も含めれば,西晋までの情況を見通すことも不可能ではないだろう.
⑥羅 新「近年来北京呉簡研討班的主要工作」
9月9日に公刊されたばかりの『呉簡研究』第2輯に収録された主要な成果を概観した上で,直面している課題について率直に述べる.そこでは,東牌楼漢簡や湖南・郴州晋簡との比較研究や,統計的な手法への注目の必要性があらためて確認される.比較研究や統計的手法はもちろん今後の研究の深化にとって重要であろう.しかし,長沙呉簡とは,「長沙から出土した三国・呉時代の簡牘であること」をあらためて再確認することから始める必要があるのではないだろうか.そして「多くが文書ではなく,簿籍であること」も重要であろう.新出の史料群が質量ともに画期的であればあるほど,それに即した分析視角や分析方法が求められるのであって,迂遠であっても,愚直であっても,それを省いてはならないと思う.
⑦朴漢済「韓国における長沙呉簡の研究現況」
コメントという形で,韓国における長沙呉簡研究の現段階について報告.噂に違い,とても活発とは言いがたいようである.租税制度や土地制度に関わる簡牘(しかも簿籍簡牘)が多いのだから,社会経済史研究が若手研究者により推進されている韓国では,長沙呉簡にもっと注目が集まって然るべきなような気がするのだが,それは間違った理解なのだろうか.
長沙呉簡は,文書簡牘が少なく,多くが簿籍簡牘であること(したがって,単独で分析の対象となりうるものがきわめて限られていること,俗っぽく言えば論文ネタがない),このことと関連して社会経済史からのアプローチぐらいしかのぞめないこと(法制史研究にとっては史料の宝庫とは言いがたい),など障壁がいくつも立ちはだかっている.三国時代史の研究者はたくさんいるはずだが,なにしろこの時代の簡牘はまとまった出土例が今までほとんどなかったので,分析方法など体得していなかったわけで,敬遠気味なのだろう.ましてや簿籍簡牘で,最近とみに低調な社会経済史に関わるものとなれば尚更である.今回の日本側報告者のうち,阿部・小嶋両氏は気鋭の漢代史研究者であり,町田氏はよく知られた「五胡」時代史研究者であり,かつ敦煌・吐魯番学の権威である.言ってみれば,長沙呉簡の発見までは,三国時代史に関しては門外漢のような立場であった.その「門外漢性」がプラスに作用した報告ではあった.
しかし後漢・三国交替期が(その画期性をどう説明し,どう評価するかはともかく)中国史上,重要な時期であることには変わりなく,その変動の本質と具体的なプロセスをきちんと説明することが三国時代史研究には求められているはずで,そのためには,長沙呉簡はまたとない史料群である.この史料群を前にして,社会経済史とか法制史とかいう狭隘な枠・ジャンルに固執することは怠慢でしかないだろう(もちろんこのような枠自体が,環境史や技術史といった新たな視点により相対化されるべきであろうが).しかしシンポジウムの会場には,三国時代史研究者の姿は多くはなかった.韓国における長沙呉簡研究の低調さを云々する以前に,この現実こそ凝視する必要があろう.
私自身は,長沙呉簡の史料群としての性格を考えながら,当面は竹簡の分類を試み,さらにそこに見えている正体不明の諸負担について,少しでも解明できればと思っているところである.諸負担の正体を突き止めることを通じて,前後の時代との連続面(または断絶面)が明らかになればと思うからである.ただしトゥルファン出土の唐代の交付文書である領抄文書をかつて整理した経験から言うと,唐代西州の農民は,「正史」に見えている,また律令の令に定められている諸負担よりもはるかに多種多様な負担を強いられていた.したがって農民のサイドに立てば,従来の制度史研究からの説明は殆ど無意味ではないか,という思いを抱いた.長沙呉簡の賦税類竹簡を見ていても同じような思いに捉われているのである.呉・長沙郡の農民も多種多様な負担に喘いでいたと考えても,大筋で間違ってはいないだろう.
長沙呉簡研究会の内外を問わず,コメントを切望するが,多分ないだろうなあ.
by s_sekio
| 2006-09-18 23:51
| 参加記

