2006年 08月 11日
「莫高窟北区出土《大涼安楽三年(619)二月郭方随葬衣物疏》的両三個問題」 |
『敦煌吐魯番研究』に掲載された表記の拙稿だが,投稿後,池田温先生の『中国古代写本識語集録』に,安楽3年3月の紀年を有する維摩詰経題記が収録されていることを知った.本稿は,表題に掲げた随葬衣物疏以外に,安楽紀年文物として墓誌があること,そしてその西暦への比定を通して,一部史書の記述には誤りのあることを指摘したものだが,随葬衣物疏と同じように敦煌から出土したとおぼしき写経のなかに,このような事例のあることを見落としていたことは恥じるしかない.当該の写経は書道博物館所蔵で,昨日届いた図録であらためて確認した.
池田先生は,安楽3年を620年に比定しているが,拙稿での考証により619年とすべきであろう.干支が併記されていないので,矛盾はない.また安楽なる元号がほとんど知られていないことを考慮すれば,偽作・贋品の可能性はまずないだろう.なお同著には,やはり書道博物館の所蔵にかかる薬師瑠璃光如来本願功德経の題記が収録されているが,こちらには「大唐開国武徳二年四月四日」と記されている.これも619年で,上の安楽紀年経の約一ヵ月後だが,なお敦煌は安楽なる元号を用いた政治権力のもとにあったはずで,これは疑わしい.池田先生がこれに〈疑〉とされているのは,このような事情もあるのだろう.
なお維摩詰経の題記は,『西北出土文献研究』第4号で,表記の拙稿の補論として紹介する予定である.
池田先生は,安楽3年を620年に比定しているが,拙稿での考証により619年とすべきであろう.干支が併記されていないので,矛盾はない.また安楽なる元号がほとんど知られていないことを考慮すれば,偽作・贋品の可能性はまずないだろう.なお同著には,やはり書道博物館の所蔵にかかる薬師瑠璃光如来本願功德経の題記が収録されているが,こちらには「大唐開国武徳二年四月四日」と記されている.これも619年で,上の安楽紀年経の約一ヵ月後だが,なお敦煌は安楽なる元号を用いた政治権力のもとにあったはずで,これは疑わしい.池田先生がこれに〈疑〉とされているのは,このような事情もあるのだろう.
なお維摩詰経の題記は,『西北出土文献研究』第4号で,表記の拙稿の補論として紹介する予定である.
by s_sekio
| 2006-08-11 20:44
| 余滴