2006年 07月 25日
長沙呉簡の「市会」 |
賦税納入簡の丘名を記載すべき箇所に,「邑下」とか「亭伍」と記されたものがあることは,6月にこのブログでも紹介したが,もう一点,「市會」とあるものを発見した.以下の1432である.
入桑郷市會干慎三月四月五月租錢一□□(以下,釈読不能)
図録は「干慎」を人名としており,3か月分の租錢を一括納入したことを証明する賦税納入簡であろう.この干慎は桑郷に所属するのだろうが,郷名と姓名の間に挿入されている「市會」とは何なのだろう.番号で近い1422は,以下のように釈読されている.
・右都郷市租錢九千(以下,釈読不能)
都郷から納入された市租錢の集計簡だが,干慎が納入した租錢も,このような市租錢であったと考えられ,彼は臨湘の市に関わっていたと思われるが,推測できるのはそこまでで,これから先は,他の史料を援用しないと解決できない.
入桑郷市會干慎三月四月五月租錢一□□(以下,釈読不能)
図録は「干慎」を人名としており,3か月分の租錢を一括納入したことを証明する賦税納入簡であろう.この干慎は桑郷に所属するのだろうが,郷名と姓名の間に挿入されている「市會」とは何なのだろう.番号で近い1422は,以下のように釈読されている.
・右都郷市租錢九千(以下,釈読不能)
都郷から納入された市租錢の集計簡だが,干慎が納入した租錢も,このような市租錢であったと考えられ,彼は臨湘の市に関わっていたと思われるが,推測できるのはそこまでで,これから先は,他の史料を援用しないと解決できない.
by s_sekio
| 2006-07-25 08:48
| 余滴