2025年 01月 25日
本日 |
本日は午後から東洋文庫で内陸アジア出土古文献研究会の例会があるので,これから出発.昨日,書き込んだように,行政文書の様式から,闞爽が高昌王を称したという史書の記述を否定し,引き続き高昌太守であったとしたのは白須氏の功績だが,郡府の機構=意志決定システムには変更を加えずに,北涼時代の既存のシステムを流用したということになる.同じ北涼時代であっても,420年代と430年代とでは微妙な違いがあったようにも思われるが,430年代の北涼時代(太守は隗仁)と,その後の闞爽時代では全く同じだったように理解できる.ただ白須氏の論証によって高昌郡府としての継続性は明らかになったが,それは謂わば「ハコ」の話であって,中味はどうだったのだろうか.この点については呉震氏の論文を読み返す必要がある.もっともその前に,麴氏高昌国時代の兵部の奏文を確認しておく必要があるのだが.
SNS時代を生きることになってしまった歴史学徒として,やるべきことはやっておきたい,と意気込んでみたものの,前途多難.
by s_sekio
| 2025-01-25 10:14
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