2025年 01月 24日
闞爽 |
白須淨眞「高昌・闞爽政権と縁禾・建平紀年文書」を読み直す.この論文については,表題にある縁禾と建平という二つの元号の制定・奉用主体如何という問題関心から何度も読んでいたが,この紀年を有する官文書の機能に関しても,早い時期に取り組んだ先駆性が評価されるべきだろう.北涼文書と闞爽時期の文書とを比較して,その様式に共通点があることから,闞爽時期の建平紀年文書も(高昌)郡府で作成されたものと判断し,闞爽もあくまで高昌太守であって,高昌王に称したという史書の記述を否定し,さらに彼が太守であった以上,独自の元号を制定したとは考えがたく,この建平も別の政治権力(北涼)のものという結論を導く.ただ白という上行文書の性格・機能についてはなお不充分なところがあるが,これは致し方ないか.白須氏自身が論じたように,麴氏高昌国時代,兵部が国王に奏して裁可を仰いだのと同じように,高昌郡時代は,兵曹が太守に白して裁可を仰いだのである.この点については,理解が十分ではなかったように思われる.
by s_sekio
| 2025-01-24 20:32
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