2006年 04月 12日
9908ロシア・サンクトペテルブルグほか |
8月11日(水)
例によって,0:30頃眼がさめる.かつてのゼミテン佐藤貴保君が夢に出てきた.荒川氏としょっちゅう話題にしているせいか.だからというわけではないだろうが,眠れなくなり,文庫本を読み出し,2:00過ぎにやっと眠った.何回かその後も眼がさめたが,最終的には7:15,起床.早速朝食へ.7:30から8:00まで.昨夕,日本人の大きな団体さんが到着したためか,混んでいる.また団体さんが宿泊していると,朝のヴァイキングのラインアップもややいつもより充実している.いつもでもハムが6種類,魚が2種類はあるが,今日は魚がさらに2種類ほど多かったようだ.チェリージュースはなかったが.日本人の団体さんは,「バルト三国とサンクトペテルブルグの旅」ツアーのご一行で,今日は7日目ということが,掲示でわかった.バルト三国は,リトアニア生まれのユリー先生からも聞いて,行きたくなってきた.近代以前のたたずまいが残っているようだ.ただ昨晩の中華料理がたたったのか,腹具合があまりよくなく(疲れかもしれない),少々寒気も感じたので,シャワー・入浴はやめて,8:30から9:00まで洗濯だけする.9:15くらいから文庫本を読み出し,『ある出稼石工の回想』を読了.3冊目の文庫本の頁をめくる.日本から持参した文庫本は岩波の青帯の歴史ものばかり3冊なので,これが最後.9:30からしばらくこの日録を入力.10:15支度して,10:30,いつものように発.フィンランド航空のオフィスの前で,移転先の地図を見ながらガイドブックにトレースしていたら,日本の方ですかと声をかけられ,50前後の紳士然とした男性が立っていた.彼が親切に教えてくれたが,どうも遠回りの道のような気がする.礼を言って別れる.11:00少し前,研究所着.昨日残した05150から05199までだが,これが厄介で,五胡時代と思われる20行前後の古い写経が昨日から続いて集中的に現れる.天地を計測し始めたせいもあって,けっこう時間がかかってしまい,50点に一時間半を要してしまった.おまけにスタッフが不在で,次のを出してもらうことができず,10分程度のロス.12:40過ぎ,ナージャ女史が来てくれて,Дх05200~05299に取りかかる.少し進んだところで,13:25から昼食.今日はやや早めだが,アメリカの招待学者は今日が最後ということで,話がはずみ,14:05まで.午後はまた断片が多くなり,テンポよく進む.その後,Дх05300~05399を出してもらい,16:30には05385まで終了.荒川氏と辞す.美術館前で荒川氏と別れ,フィンランド航空のオフィスへ.私の考えた近道を行ったら,簡単にわかったが,残念ながら17:00まで.しっかり閉まっていた.仕方がないので,「京都」という日本料理店まで足を伸ばす.途中で道を勘違いしたらしく,ゴローホヴァヤ通りと思ったのが違っていて,工事中のセーンナヤ広場の雑踏にまぎれこんでしまった.多分この通りだろうと思った通りを進んで,フォンタンカ運河と交差する手前で,ようやく「京都」を発見.外から中が見えないので少々不安だったが,思いきって入ってみると,ロシア人の従業員ばかりで,やや不安になる.16:00から19:00までのセット料理から,NUTAというやつとノンアルコールのビールを注文する.出てきたのは付け出し・ぬた・ご飯・味噌汁(ワカメ・ねぎ・豆腐・しいたけ入り),簡単に平らげてこれで終わりかと思ったら,野菜としいたけのてんぷら,鳥の照り焼き,そしてデザート.そう言えば確かにてんぷらとチキンがメニューにもあった.すっかり忘れていた.でもご飯を食べ終わったところで,メインディッシュが出てくるというのはどういうわけだろう.40分くらいかけて食べ終わり,18:35頃店を出る.帰りはゴローボヴァヤ通りをまっすぐ戻って,19:00前にホテル着.質量ともに満足な夕食だった.CNNのニュースを見て,機内でもらったコニャックのミニボトルを飲み干して,20:00頃から文庫本を椅子に腰掛けて読み出す.22:00近く,就寝.このところ横になってからわずかの時間だが,『地球の歩き方』でキエフを始め旧ソ連の各都市の項を見ることが習慣になったが,ここと違って中世からの遺跡が残っている都市に行ってみたくなった.
例によって,0:30頃眼がさめる.かつてのゼミテン佐藤貴保君が夢に出てきた.荒川氏としょっちゅう話題にしているせいか.だからというわけではないだろうが,眠れなくなり,文庫本を読み出し,2:00過ぎにやっと眠った.何回かその後も眼がさめたが,最終的には7:15,起床.早速朝食へ.7:30から8:00まで.昨夕,日本人の大きな団体さんが到着したためか,混んでいる.また団体さんが宿泊していると,朝のヴァイキングのラインアップもややいつもより充実している.いつもでもハムが6種類,魚が2種類はあるが,今日は魚がさらに2種類ほど多かったようだ.チェリージュースはなかったが.日本人の団体さんは,「バルト三国とサンクトペテルブルグの旅」ツアーのご一行で,今日は7日目ということが,掲示でわかった.バルト三国は,リトアニア生まれのユリー先生からも聞いて,行きたくなってきた.近代以前のたたずまいが残っているようだ.ただ昨晩の中華料理がたたったのか,腹具合があまりよくなく(疲れかもしれない),少々寒気も感じたので,シャワー・入浴はやめて,8:30から9:00まで洗濯だけする.9:15くらいから文庫本を読み出し,『ある出稼石工の回想』を読了.3冊目の文庫本の頁をめくる.日本から持参した文庫本は岩波の青帯の歴史ものばかり3冊なので,これが最後.9:30からしばらくこの日録を入力.10:15支度して,10:30,いつものように発.フィンランド航空のオフィスの前で,移転先の地図を見ながらガイドブックにトレースしていたら,日本の方ですかと声をかけられ,50前後の紳士然とした男性が立っていた.彼が親切に教えてくれたが,どうも遠回りの道のような気がする.礼を言って別れる.11:00少し前,研究所着.昨日残した05150から05199までだが,これが厄介で,五胡時代と思われる20行前後の古い写経が昨日から続いて集中的に現れる.天地を計測し始めたせいもあって,けっこう時間がかかってしまい,50点に一時間半を要してしまった.おまけにスタッフが不在で,次のを出してもらうことができず,10分程度のロス.12:40過ぎ,ナージャ女史が来てくれて,Дх05200~05299に取りかかる.少し進んだところで,13:25から昼食.今日はやや早めだが,アメリカの招待学者は今日が最後ということで,話がはずみ,14:05まで.午後はまた断片が多くなり,テンポよく進む.その後,Дх05300~05399を出してもらい,16:30には05385まで終了.荒川氏と辞す.美術館前で荒川氏と別れ,フィンランド航空のオフィスへ.私の考えた近道を行ったら,簡単にわかったが,残念ながら17:00まで.しっかり閉まっていた.仕方がないので,「京都」という日本料理店まで足を伸ばす.途中で道を勘違いしたらしく,ゴローホヴァヤ通りと思ったのが違っていて,工事中のセーンナヤ広場の雑踏にまぎれこんでしまった.多分この通りだろうと思った通りを進んで,フォンタンカ運河と交差する手前で,ようやく「京都」を発見.外から中が見えないので少々不安だったが,思いきって入ってみると,ロシア人の従業員ばかりで,やや不安になる.16:00から19:00までのセット料理から,NUTAというやつとノンアルコールのビールを注文する.出てきたのは付け出し・ぬた・ご飯・味噌汁(ワカメ・ねぎ・豆腐・しいたけ入り),簡単に平らげてこれで終わりかと思ったら,野菜としいたけのてんぷら,鳥の照り焼き,そしてデザート.そう言えば確かにてんぷらとチキンがメニューにもあった.すっかり忘れていた.でもご飯を食べ終わったところで,メインディッシュが出てくるというのはどういうわけだろう.40分くらいかけて食べ終わり,18:35頃店を出る.帰りはゴローボヴァヤ通りをまっすぐ戻って,19:00前にホテル着.質量ともに満足な夕食だった.CNNのニュースを見て,機内でもらったコニャックのミニボトルを飲み干して,20:00頃から文庫本を椅子に腰掛けて読み出す.22:00近く,就寝.このところ横になってからわずかの時間だが,『地球の歩き方』でキエフを始め旧ソ連の各都市の項を見ることが習慣になったが,ここと違って中世からの遺跡が残っている都市に行ってみたくなった.
by s_sekio
| 2006-04-12 10:15
| 日記