2006年 04月 12日
9908ロシア・サンクトペテルブルグほか |
8月1日(月)
昨日は日録をつけて娘に絵葉書を書いたところで18:00,街に出かけて軽食をとるまえに一休みと思って横になったらそのまま寝てしまい,目がさめたら22:30になっていた.日本では4:30で,完璧に時差に対応できていない.窓の外は白夜でまだ明るい.モーニングサービスの注文をドアノブに吊るして23:00頃また休み,今度は1:15,次は3:40と小刻みに目がさめる.面倒なので,4:15起床,この日録をつける.腹は減るし,のどは乾くし…….昨年の夏に満州語文献の調査に従事した旧友の石橋崇雄氏(国士舘大学文学部)から,ロシアのホテルには部屋にポットの備え付けがない旨聞いていたが,それはここも同じこと.ミニバーのジュースに手が出る.部屋履きのスリッパもないが,こちらは用意してきたのでだいじょうぶ.あまり体調がよくないので,30分程度でまたベッドに.結局最後に目がさめたのは6:00.途中大分目がさめたが,寝入ってから12時間.日本にいる時は考えられないこと.きっと緊張して疲れていたのだろう.6:00にシャワー・入浴,荷物の整理をしてルームサービスを待つ.7:00過ぎ久しぶりの食事にありつく.ベーコンもスクランブルエッグも山盛りで,コーヒーもポットごと.コーンフレイクはさすがに残した.8:15頃,フロントへ.昨日フロントに渡したままになっていたバスのバウチャーを返してもらい,8:30頃,街の中心部へ向かって散歩.10分程度でヘルシンキ中央駅に着く.しばらく駅の構内のブラブラしてから,エスプラナディ通りへ.老舗が軒を並べる通りだが,センターラインは緑豊かな公園になっている.残念ながら日曜日のためどこも閉店で,開く店も正午から.元老院広場から大聖堂に入り,ヘルシンキ大学の横をぬけて来た道を引き返す.10:30頃ホテルに戻り,売店をのぞいてから部屋の荷物を片付けて11:00,昨日の失敗にこりて早目にチェックアウト.街でも熟年の日本人カップルが目に付いたが,ホテルのロビーも日本人観光客に占拠されていた.売店では二日前の朝日や日経を売っていたし,売店のおばさんも簡単な日本語を話していたようである.11:15発のリムジンで空港へ.11:40頃空港着.搭乗・出国手続きをすませ,時間的に余裕があるのでゆっくりと空港内の免税店を見てまわる.東洋学研究所のスタッフへのおみやげも簡単に手に入った.パンは食べ飽きたので,クラッカーとチーズを買って頬張る.空港でも日本人の姿が目に付く.13:45頃,機内へ.AY167便は予定の14:05にならないうちに動き出す.ビジネスクラスは数人程度,あとはアメリカの団体さんがエコノミーにちらばる.離陸して間もなく軽食が出る.ワイン・バーボン付き.バルト海を渡るともうロシア,離陸して30分もたたないうちに高度を下げ,14:50頃,サンクトぺテルブルグのプルコヴォ空港に到着.入国手続きの長蛇の列に並ぶ.昨日の失敗にこりて,列をよく選んで並んだためスムーズに進み,出口で私の名前を書いた紙を持っていた荒川慎太郎氏(京都大学大学院生)を見つけることができた.研究所のマルガリータ女史にも会えた.タクシーの件でトラブルがあったが(早速バウチャーを出していれば問題はなかったのだが),16:15頃,アストリア・ホテルの新館アングレテールに到着.ここがこれから2週間ばかり住まいとなる宿.フィンランドとの時差が1時間あるので,もう17:15.英語もロシア語も巧みな荒川氏の通訳によって,マ女史と今後の簡単な打ち合わせを行う.私曰く,Дхナンバーの03601から18000までの漢文文献を全て見たい.マ女史即座に曰く,It is impossible.やれやれ.18:00前,女史だけ帰られ,18:15,荒川氏とフロントに預けたパスポートを返してもらいに行き,ついでにドルをルーブルに換金.札入れは日本円とアメリカドルとフィンランドマルカにロシアルーブルが加わり,混乱を来しそう.散歩がてら,荒川氏に案内されながら東洋学研究所(正確には,ロシア科学アカデミー東洋学研究所サンクトペテルブルグ支所)まで歩く.研究所は,ネヴァ川に沿った宮殿川岸通りに面して立っている,古めかしい建物の一角を占めている.市内の道路のなかでもこの通りの舗装がとくに良いのは,外国からの賓客を案内するためという.とくに研究所の建物は川をはさんでペトロパウロフスク要塞に面しており,まさに風光明媚ということばがあてはまる.約20分の道のりだが,往復するとけっこう疲れる.おまけにかなり日差しが強くて暑い.観光客が多いが,日本人はいない.ホテル近くまで戻って,インド料理店「タンドール」に入り,本場の辛いカレーで夕食.自宅近くの大堀幹線にある「ナタラジャ」以上の猛烈な辛さだが,パンがついていたので助かったという思い.20:30頃まで.東洋文庫から研究所への連絡が徹底していなかったせいか,荒川氏は通訳の件は聞いていないというので,あらためて依頼して承諾を得る.郊外に下宿しているという荒川氏と別れ,ホテルに戻る.洗濯などしなければならないことは山ほどあるが,とりあえずはこの日録をつけることにする.部屋の窓からは聖イサク寺院が見渡されるが,21:30を過ぎたというのに,差し込む日差しがとてもまぶしく,カーテンはほとんど意味をなさない.これから毎日どうしようか.
昨日は日録をつけて娘に絵葉書を書いたところで18:00,街に出かけて軽食をとるまえに一休みと思って横になったらそのまま寝てしまい,目がさめたら22:30になっていた.日本では4:30で,完璧に時差に対応できていない.窓の外は白夜でまだ明るい.モーニングサービスの注文をドアノブに吊るして23:00頃また休み,今度は1:15,次は3:40と小刻みに目がさめる.面倒なので,4:15起床,この日録をつける.腹は減るし,のどは乾くし…….昨年の夏に満州語文献の調査に従事した旧友の石橋崇雄氏(国士舘大学文学部)から,ロシアのホテルには部屋にポットの備え付けがない旨聞いていたが,それはここも同じこと.ミニバーのジュースに手が出る.部屋履きのスリッパもないが,こちらは用意してきたのでだいじょうぶ.あまり体調がよくないので,30分程度でまたベッドに.結局最後に目がさめたのは6:00.途中大分目がさめたが,寝入ってから12時間.日本にいる時は考えられないこと.きっと緊張して疲れていたのだろう.6:00にシャワー・入浴,荷物の整理をしてルームサービスを待つ.7:00過ぎ久しぶりの食事にありつく.ベーコンもスクランブルエッグも山盛りで,コーヒーもポットごと.コーンフレイクはさすがに残した.8:15頃,フロントへ.昨日フロントに渡したままになっていたバスのバウチャーを返してもらい,8:30頃,街の中心部へ向かって散歩.10分程度でヘルシンキ中央駅に着く.しばらく駅の構内のブラブラしてから,エスプラナディ通りへ.老舗が軒を並べる通りだが,センターラインは緑豊かな公園になっている.残念ながら日曜日のためどこも閉店で,開く店も正午から.元老院広場から大聖堂に入り,ヘルシンキ大学の横をぬけて来た道を引き返す.10:30頃ホテルに戻り,売店をのぞいてから部屋の荷物を片付けて11:00,昨日の失敗にこりて早目にチェックアウト.街でも熟年の日本人カップルが目に付いたが,ホテルのロビーも日本人観光客に占拠されていた.売店では二日前の朝日や日経を売っていたし,売店のおばさんも簡単な日本語を話していたようである.11:15発のリムジンで空港へ.11:40頃空港着.搭乗・出国手続きをすませ,時間的に余裕があるのでゆっくりと空港内の免税店を見てまわる.東洋学研究所のスタッフへのおみやげも簡単に手に入った.パンは食べ飽きたので,クラッカーとチーズを買って頬張る.空港でも日本人の姿が目に付く.13:45頃,機内へ.AY167便は予定の14:05にならないうちに動き出す.ビジネスクラスは数人程度,あとはアメリカの団体さんがエコノミーにちらばる.離陸して間もなく軽食が出る.ワイン・バーボン付き.バルト海を渡るともうロシア,離陸して30分もたたないうちに高度を下げ,14:50頃,サンクトぺテルブルグのプルコヴォ空港に到着.入国手続きの長蛇の列に並ぶ.昨日の失敗にこりて,列をよく選んで並んだためスムーズに進み,出口で私の名前を書いた紙を持っていた荒川慎太郎氏(京都大学大学院生)を見つけることができた.研究所のマルガリータ女史にも会えた.タクシーの件でトラブルがあったが(早速バウチャーを出していれば問題はなかったのだが),16:15頃,アストリア・ホテルの新館アングレテールに到着.ここがこれから2週間ばかり住まいとなる宿.フィンランドとの時差が1時間あるので,もう17:15.英語もロシア語も巧みな荒川氏の通訳によって,マ女史と今後の簡単な打ち合わせを行う.私曰く,Дхナンバーの03601から18000までの漢文文献を全て見たい.マ女史即座に曰く,It is impossible.やれやれ.18:00前,女史だけ帰られ,18:15,荒川氏とフロントに預けたパスポートを返してもらいに行き,ついでにドルをルーブルに換金.札入れは日本円とアメリカドルとフィンランドマルカにロシアルーブルが加わり,混乱を来しそう.散歩がてら,荒川氏に案内されながら東洋学研究所(正確には,ロシア科学アカデミー東洋学研究所サンクトペテルブルグ支所)まで歩く.研究所は,ネヴァ川に沿った宮殿川岸通りに面して立っている,古めかしい建物の一角を占めている.市内の道路のなかでもこの通りの舗装がとくに良いのは,外国からの賓客を案内するためという.とくに研究所の建物は川をはさんでペトロパウロフスク要塞に面しており,まさに風光明媚ということばがあてはまる.約20分の道のりだが,往復するとけっこう疲れる.おまけにかなり日差しが強くて暑い.観光客が多いが,日本人はいない.ホテル近くまで戻って,インド料理店「タンドール」に入り,本場の辛いカレーで夕食.自宅近くの大堀幹線にある「ナタラジャ」以上の猛烈な辛さだが,パンがついていたので助かったという思い.20:30頃まで.東洋文庫から研究所への連絡が徹底していなかったせいか,荒川氏は通訳の件は聞いていないというので,あらためて依頼して承諾を得る.郊外に下宿しているという荒川氏と別れ,ホテルに戻る.洗濯などしなければならないことは山ほどあるが,とりあえずはこの日録をつけることにする.部屋の窓からは聖イサク寺院が見渡されるが,21:30を過ぎたというのに,差し込む日差しがとてもまぶしく,カーテンはほとんど意味をなさない.これから毎日どうしようか.
by s_sekio
| 2006-04-12 10:05
| 日記