2023年 01月 24日
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考古学者の文字史料解釈の緩さは,以前から感じていたことだが,西川論文はその象徴的なものであるとともに,論理構成がバラバラ.もっとも日本史研究者による,中国史研究者の成果の理解も甘さが目立つ.そういう欠点ばかりを指摘するサイトがあっても良いのではないかと思ったりした.
西川論文のヘンな部分.これを最後にしたい.
西方で魏の司馬懿と対峙していたころの諸葛亮孔明は,直接魏の長安から洛陽を攻めるのではなく,その西の涼州を押さえて,東に拡大していく戦略を計画していた[「涼州経由の北伐」論/「涼州を拠点とした北伐」論か].そのため涼州の北方にあたる西域の諸民族や鮮卑に外交攻勢をかける[「西域の諸民族」は西嶋説だが,鮮卑は涼州の北方ではない.渡辺説ではありうるが,少なくとも軻比能は西部鮮卑ではない].そして,蜀は鮮卑と同盟を結んで涼州を挟み撃ちし[新説],その他の諸国も蜀軍に呼応して北から兵を何かさせることを約束した.これに対し,明帝も西域異民族への政策を変更し[新説],鮮卑のさらに背後にあたる大月氏国と同盟(冊封)を成立させた[鮮卑と大月氏国の位置関係は違う].二二九年,魏は「親魏大月氏王」金印紫綬を波調王に下賜している.この場合も,たまたま遠方の大月氏が朝貢したことによる恩賜と考えるより[「東西さいはて」論に対する批判だが],遠交近攻策による戦略的同盟であり,現地の魏の部隊がお膳立てしたと考えられる.
丁寧な注はないが,大庭説(「東西さいはて」論)に批判的で,西嶋説のようだが,渡辺説(「涼州北伐」論)のようでもある.そして新説.著者自身がどの程度自覚的なのかは皆目わからない.
by s_sekio
| 2023-01-24 21:23
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