2023年 01月 23日
毋丘倹2 |
以下,西川論文から.
幽州の刺史で遼東征討の責任者だった毋丘倹は公孫氏勢力の北側にある高句麗や烏桓と軍事同盟を結び,公孫氏の包囲を固めつつあった.・・・・・・ところが,公孫氏打倒に協力した高句驪も毋丘倹は征討を試みる.二四四年,高句驪の防衛線を突破して,毋丘倹は都の丸都を占領する.・・・・・・二四五年,毋丘倹は沃沮に駐留,今度は南の諸韓国を蹂躙して征討,従属させている.その先にあるのが倭地だ.ところが,戦況の変化によって魏の東夷政策は中断する.洛陽に戻った毋丘倹は孫権の死に乗じて二五二年には呉の武昌へと進軍している(291頁).
これを読むと,魏の東夷政策の最終目標は倭だったかのように受け取れるが,それは明らかに違うだろう.毋丘倹が高句麗や烏桓と軍事同盟を結んだとか,毋丘倹が沃沮に駐留したとか,諸韓国を蹂躙したとか,ほとんど根拠がない話ばかりである.著者は考古学を専門としているとかで,文献の読みが実に粗雑で,全体に非論理的で,散漫.読むのに,読んで理解するのに,ものすごいエネルギーが要る.
by s_sekio
| 2023-01-23 20:35
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