2023年 01月 23日
毋丘倹 |
ところで,西川論文は,2005年に山西省運城市聞喜県桐城鎮上邱村で発見された「毌丘儉遇難紀念碑」から,毋(ブ)丘儉ではなく,毌(カン)丘儉であるとする(註(6)).この「紀念碑」は詳細不明である.いっぽう,田中俊明「魏の東方経略をめぐる問題点」は,山西省芸術博物館展示の「毋丘氏造像碑」を紹介し,造主は儉の孫の奥であり,その刻字から「毋(ブ)丘」であるとする.私はこの田中説を支持するものだが,田中論文に掲載された写真では,1画目と2画目は右下で明確に交差しており,毋丘儉(ブキュウケン)とすべきであろう.
by s_sekio
| 2023-01-23 19:56
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