2022年 10月 01日
伊藤光成「魏文帝の国際秩序構想」 |
思い出して再読する.
文帝は戊己校尉の設置に伴って車師後部王に印綬を与えることで,西域の安寧を維持する役割を期待すると共に,魏が新や後漢と異なり西域の統治を恙なく行っていることを示そうとしたのではないか(19頁).
長澤和俊説に従って車師後部王壱多雑への王号賜与を戊己校尉設置と同時期と推定する.しかしどうだろうか.後漢時代に友好的ではなかった車師後部が戊己校尉設置と同時期に王号を受諾したであろうか.車師後部は天山北麓にあって牧畜に従事しており,戊己校尉と同じく天山南麓にあった車師前部とは違う.またそのような車師後部が,中央アジアのオアシス都市国家に対して大きな影響力を持っていたとは思えず(地域大国ではあったが,これに「属」していたのは,同じく北麓の国ぐにだった),「安寧を維持する役割」を果たせたとは思えない.「戊己校尉は車師の高昌に置かれている」(18頁)とも言うが,この「車師」は車師前部のことであろう(ただし,「車師の高昌」という表現は厳密に言えば正しくない).むしろ戊己校尉と車師前部との交渉に関する記述が『三国志』には見えないことこそ注目すべきであろう.
by s_sekio
| 2022-10-01 21:04
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