2022年 08月 17日
渡邉義浩主編『全訳三国志』魏書(一) |
まったく見ない,というわけにはいかないので,取り寄せる.本紀の部分.冒頭に,渡邉義浩「解題 陳寿と『三国志』」がある.
陳寿は,司馬懿の政敵であった曹爽の父曹真の活躍を隠すため,あえて,西戎伝を立てなかった.裴注は,東夷伝の最後に『魏略』の西戎伝を長々と引用することで,陳寿の偏向を補っている.曹魏は,蜀漢の涼州進出を抑止するために,大月氏国の王に「親魏大月氏王」という称号を与えた.・・・・・・このほか,『魏略』西戎伝には,大秦国(ローマ)の詳細な情報も含まれ,列伝を立てるのに十分な分量があった.それにも拘らず,陳寿が西戎伝を立てなかった理由は,大月氏王を「親魏大月氏王」に封建した功績が曹真に帰せられるためである.このように裴注は,『三国志』の偏向とインド・ローマに関する詳細な記録を今日に伝えた.裴注の史学史上の価値の高さを理解できよう.
陳寿が西域での曹真の功績を記さないのは,曹真の子である曹爽こそ,曹魏において司馬懿が権力を掌握する際の政敵であったためである.これに対して,司馬懿の功績となる卑弥呼への「親魏倭王」への封建については,詳細な記録を残した.いわゆる「魏志倭人伝」である(xvii頁).
馬鹿げている.渡邉の言う通りだとして,曹真伝の事績と,本紀の冊封記事を見れば簡単にわかることである.隠せない.仮に西戎伝を立てたとして,問題はそこにどのような記述を行なうかである.卑弥呼冊封にしても,東夷伝倭人条に,司馬懿司馬懿と出てくるわけではない.司馬懿の伝ではなく,東夷伝なのだから.西戎伝の主人公は西戎であって,曹真ではない.それは東夷伝と同じ.渡邉の論理であれば,曹真伝と本紀だけで,曹真の実績とわかろう.でもこれは曹真の実績ではない.東夷伝の記事を読んでも,そこからこれが司馬懿の実績だと直ぐにわかるわけではない(実際にはそうでないかもしれない).だから馬鹿げているのである,二重にも三重にも.こんな馬鹿げた論理に読者は納得するのだろうか.
わざわざ取り寄せたのは,本紀の229年の親魏大月氏王冊封や,246年の朝鮮半島攻略の記事(列伝と繋年が一致せず)にどのような補注が入っているか確認したかったからなのだが,全く役立たず.
by s_sekio
| 2022-08-17 11:40
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