2022年 07月 09日
烏桓三王 |
『三国志』巻30烏丸伝に,「(袁)紹矯制賜蹋頓・峭王・汗魯王印綬,皆以為単于」とある.蹋頓は遼西烏桓,峭王は遼東属国烏桓の蘇僕延,汗魯王は右北平烏桓の烏延.当該箇所の裴注が引く『英雄記』には,この三人が,
遼東属国率衆王頒下(遼東属国の峭王か)
烏丸遼西率衆王蹋頓
右北平率衆王汗盧維(右北平の汗魯王)
とある.「頒下」は詔を頒下したという文言が混入してしまったのだろう.ただこの『英雄記』には「三王」という語や,「烏桓単于都護部衆,左右単于受其節度」という一文があるので,
烏桓単于/左単于/右単于
という三つの称号を三人で分け合ったのであろう.
しかしちくま学芸文庫の『正史 三国志』4は,
袁紹は勝手に朝廷の命令を偽造して,蹋頓と[難楼と]峭王と汗魯王とに印綬を与えて,それぞれを単于に任じた(428頁)
と訳す.難楼は前文に上谷烏桓の大人としてその名が見えるが,彼を含めると四人になってしまう.やはり除くべきだろう.
by s_sekio
| 2022-07-09 19:16
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