2019年 08月 18日
「曹真残碑」 |
拙著第六章に関わって,表題の「曹真残碑」について,津田資久「「曹真残碑」考釈」,『国士舘東洋史學』創刊号,2006年を熟読.
曹真没後,程なくして建立されたこの碑には,司馬懿と,曹真を継いだ曹爽との対立の影響はない.著者はむしろ司馬懿が積極的に建立に関わった「官碑」であるとする.
碑の性格は頌德碑とされるが,要するに後漢でしばしば見られた頌政碑であり,とくに死後に建立された点に特徴があろう.
本論文の高い到達点については,別途取り上げたいが,もし曹真が,通説(俗説)のように,大月氏をはじめとする中央アジア諸国の招聘に少しでも関与していたのであれば,当然碑文でも言及されたであろうが,その形跡は見られない.当然と言えば当然だが,この点からも,彼がそのような役割を果たす立場になかったことがわかる.それとは対照的に,220年前後に張掖に割拠した張進の名前が見えており,都督雍凉二州諸軍事として対応した業績として記録されているのである.
別途あらためて三国志本伝の記述と碑文の比較対象を行なわなければならないが,それは後日.
by s_sekio
| 2019-08-18 20:22
| 三国志の考古学