2017年 06月 04日
五一広場漢簡・東牌楼漢簡中の白文書 |
長沙市の五一広場や東牌楼から出土した後漢時代の簡牘に含まれている白文書については,既に角谷常子氏や髙村武幸氏が論じておられる.
西暦100年前後の五一広場漢簡では,比較的幅広の簡(両行)が多用されており,端正な隷書で2行ずつ書写されている.文頭には年月日が記され,敢言之で本文が始まり,文末は敢言之で結ばれている.いわゆる「敢言之文書」であり,それ以外のものはこの種の簡には見当たらない(文頭の敢言之は「叩頭死罪敢言之」,文末のそれは「叩頭死罪死罪敢言之」と連記されることが多いようだ).ただし,髙村氏も指摘されているように,「敢言之文書」が全て両行だったというわけではなく,さらに幅広の木牘を使ったものもある.それに対して「白文書」はどうだろうか.大型図録本『長沙五一広場東漢簡牘選釈』から拾い出してみる.
1)CWJ1①:97(カラー写真は5頁.以下,同じ)「木牘」とされるが,実際には両行よりも幅が狭いので,木簡とするべきか.簡の中程に2行で,下部は欠損.「兼左賊史脩・助史壽龐白・・・」とある.
2)CWJ1③:305(9頁)典型的な木牘.上段中央に「君追殺人賊小武陵亭部」とあり,中段右から「兼左賊史順・助史條白・・・」と本文が記され,文末が「白草」で結ばれて,改行して「延平元(106)年四月廿四日辛未白」とある.これから判断して,1)も本来は木牘で下端だけではなく,左半分が欠損していると判断される.上段にも2)と同じような文言が入っていたのであろう.1)の本文は最初の「待事掾」の3文字しかわからないが,2)では本文が完結しており,その冒頭は「待事掾王純」となっているので,同じ事案に関わるものだった可能性がある.
3)CWJ1①:25-23(11頁)竹簡で,「左戸曹史麟白」で本文が導かれる.下端が欠損しているので詳細は不明だが,編綴痕が確認できるので,冊書だったと考えられる.
4)CWJ1③:325-1-103(16頁)木牘で形状は2)と同じ.上段中央に「君追賊小武陵亭部」とあり,中段右から「辞曹史伉・助史脩弘白」と本文が記され,文末が「當被書復白」で結ばれる.最後は改行して「永初元(107)年正月廿六日戊申白」とある.
5)CWJ1③:325-4-43A,B(18頁)両行木簡よりもやや幅広の木牘で,正面に3行,背面に4行.正面上段右から「理訟掾伉・史寶・御門亭長廣叩頭死罪白」で本文が始まり,背面の「伉・寶・廣惶恐叩頭死罪」で結ばれ,末尾に「八月十二日丁巳白」とある.
6)CWJ1③:263-48(27頁)竹簡で,上端を欠く.「兼左賊史□・助史漢白草」とあって,白文書の末尾と思われるが,詳細は不明.
7)CWJ1③:263-73(27頁)竹簡で,上端を欠く.「死罪白」とあるが,欠損部分に白の主体が記されていた可能性がある.なお6)とは書風が異なるので,同一の冊書を構成していた可能性は低い.
8)CWJ1③:325-1-33(35頁)「木両行」とするが,札のように細い木簡.上端は欠損で編綴痕あり.書風も両行よりはやや雜.文中に「屯長姓王不処名白」とある.これ自体が「白文書」ということではないようだ.
9)CWJ1③:169A,B(47頁)木牘で,髙村氏が既に訳文を作成されている(髙村,『秦漢簡牘史料研究』,127頁).正面上段右から「待事掾王純叩頭死罪白」で本文が始まり,背面は「純愚戇惶恐叩頭死罪死罪」で本文が結ばれ,最後に「四月廿二日白」とある.2)の待事掾王純と同一人物である.内容的にも2)と密接に関わっており,2)は106年4月24日の紀年なので,9)はその二日後と判断できる.
大型図録本の「白文書」関連の史料は以上だが,このほか,長沙市文物考古研究所「湖南長沙五一広場東漢簡牘発掘簡報」(『文物』2013年第6期)だけに写真が公表されているものがある.
10)J1③:129A,B(文物18頁図20)木牘で,「昭陵待事掾逢延叩頭死罪白」で始まり,「延愚戇惶恐叩頭死罪死罪」で本文が結ばれている.また最後に「七月八日壬申白」とある.これについても髙村氏が訳文を作成されている(同上,128頁).
一方の東牌楼漢簡中の「白文書」についても髙村氏が訳文を附して紹介されているが,それに学んで示すと以下のようになる.なお出典は,長沙市文物考古研究所・中国文物研究所編『長沙東牌楼東漢簡牘』,北京:文物出版社,2006年である(表題は新規.番号は,標本番号/整理番号(図版番号)).
11)「後漢中平三(186)年二月左部勸農郵亭掾夏詳白爲乞備他役事」(1004/3)封検で,正面に発出人と宛先が,背面に本文が,「詳死罪白」で導かれ,末尾に「詳死罪死罪」とある.
12)「後漢年次未詳兼主錄掾黄章白爲乞差遣吏事」(1128/8)これも封検で,底板の内側に書写されている.冒頭に「兼主錄掾黄章叩頭死罪白」とあり,文の中程で「章叩頭死罪死罪」が繰り返され,末尾でも「惶恐叩頭死罪死罪」とあって,末尾に別筆のようだが,「十月十一日白?」とある.
髙村氏が言及しているのはこの2点だが,同じような文書を探ると,以下のものがある.
13)「後漢光和七(184)?年十月某人白文書」(1071/11)木牘だが,右辺が欠損しており,「叩頭死罪死罪」という文末だけしかわからない.ただその後方に「十月一日壬寅白」とあるので,白文書の可能性が高いものである.
by s_sekio
| 2017-06-04 11:03
| 余滴

