2005年 12月 18日
0512ドイツ・ベルリンほか |
12月17日(土)
朝3:20に目が覚める.まだ時差ボケ気味.眠れないので,4:00,起き出して,昨日の日記をつけ,ブログにアップし,メールに返信を書く.5:30,また横になり,6:45頃,モーニングコールで起き出す.7:00頃からシャワー・洗髪,続いて洗濯.8:00~9:00,小口先生とのんびり朝食.十分な量と質.9:30,ホテルを出て,インフォメーションセンターへ.しかし地球の歩き方に出ているのも,個人旅行に出ているのも見当たらず.地下鉄の職員に教えてもらった場所にもなし.仕方なく,中央駅までもどり,構内のセンターでストックホルムカードを買う.駅前を通るはずの47番のバス停を探し,10:50頃発.ユーロゴーダンにあるスカンセン野外博物館へ.野外に,古い民家など建造物が点在している.道路が凍結していてこわい.続いて44番のバスで引き返し,北方民族博物館の裏手にあるヴァーサ号博物館へ.17世紀前半,出航直後に沈没した帆船ヴァーサ号を引き上げて修復したもの.船体をいろいろな角度からみることができるように工夫してある.また日本語の解説も用意してあり,細やかな配慮がうかがえる.ミュージアムショップも一番充実していた.船尾の装飾が見事であった.ユールゴード橋を渡りストランド通りに出て13:00過ぎ,今度は69番のバスでノーラ・ユーロゴーダンにある国立民族学博物館へ.先のバス停まで行き過ぎ,戻る途中,中国大使館への入口付近で,中国人らしき団体が,雪の凍った道の上に座り,抗議活動をしている.仏教系の宗教団体のようであった.博物館は見つかったものの,お目当てのヘディン将来品がない.アフリカ,メキシコ,北極圏の諸民族の生活資料ばかり.諦めかけていたら,目立たない一角に確かにヘディンとその将来品の一部かひっそりと展示されていた.木簡が437,438,440~445,封検が453~456,カロシュティー木簡が458,紙文書が301,303A,304,307である.その他の出土品のなかでは,楼蘭出土の木製のストゥーパ.封検のうち,453と454は籾山明先生(埼玉大学)のいうコニーデ型で小さく,それに対応するかのように封泥匣もきわめて小さいもの.ヘディン関係の写真や彼のスケッチ作品,そしてその他の遺品など.ただ詳しい英語の解説がないので,残念ながらよくわからない.館内のカフェで遅めの昼食.入場無料ということもあり,家族連れでけっこう混んでいる.15:00過ぎのバスで市内まで戻り,今度は65番のバスに乗り換え,シェップスホルム橋を渡り,シェップスホルメン島にある東洋文化博物館へ.この時刻になるともう暗く,既に夜の雰囲気.博物館の特設展示はなんと日本の刺青.大きなパネル展示が1階にも2階にも.ミュージアムショップでは図録や大型ポスターまで売っている.もっとも2階の大半は中国の北朝から隋・唐期にかけての仏像で,「景明三年十一月十一日弟子」劉未劉堆劉寄劉黒」等四人造弥勒像一■(身+区)」上為國家皇帝下及」七世父母眷属□□大小」(下略)」という銘文を有する北魏仏もあった.16:15,博物館を出て,再び65番のバスで市内に戻る.午前中さんざん探し回ったインフォメーションセンターを見つけたので中をのぞき,17:20,ホテルに戻る.少し休んで,18:00,今度は地下鉄に乗り,旧市街ガムラ・スタンにあるスウェーデン料理の店ツムフランシスカーナへ.味が濃くて量が多いスープとデッシュ,そしてビール.20:00,再び地下鉄でホテルに戻る.20:30,ホテル着.メールを見て洗濯し,22:30,この日記を半分までつけたところで眠くなって就寝.
朝3:20に目が覚める.まだ時差ボケ気味.眠れないので,4:00,起き出して,昨日の日記をつけ,ブログにアップし,メールに返信を書く.5:30,また横になり,6:45頃,モーニングコールで起き出す.7:00頃からシャワー・洗髪,続いて洗濯.8:00~9:00,小口先生とのんびり朝食.十分な量と質.9:30,ホテルを出て,インフォメーションセンターへ.しかし地球の歩き方に出ているのも,個人旅行に出ているのも見当たらず.地下鉄の職員に教えてもらった場所にもなし.仕方なく,中央駅までもどり,構内のセンターでストックホルムカードを買う.駅前を通るはずの47番のバス停を探し,10:50頃発.ユーロゴーダンにあるスカンセン野外博物館へ.野外に,古い民家など建造物が点在している.道路が凍結していてこわい.続いて44番のバスで引き返し,北方民族博物館の裏手にあるヴァーサ号博物館へ.17世紀前半,出航直後に沈没した帆船ヴァーサ号を引き上げて修復したもの.船体をいろいろな角度からみることができるように工夫してある.また日本語の解説も用意してあり,細やかな配慮がうかがえる.ミュージアムショップも一番充実していた.船尾の装飾が見事であった.ユールゴード橋を渡りストランド通りに出て13:00過ぎ,今度は69番のバスでノーラ・ユーロゴーダンにある国立民族学博物館へ.先のバス停まで行き過ぎ,戻る途中,中国大使館への入口付近で,中国人らしき団体が,雪の凍った道の上に座り,抗議活動をしている.仏教系の宗教団体のようであった.博物館は見つかったものの,お目当てのヘディン将来品がない.アフリカ,メキシコ,北極圏の諸民族の生活資料ばかり.諦めかけていたら,目立たない一角に確かにヘディンとその将来品の一部かひっそりと展示されていた.木簡が437,438,440~445,封検が453~456,カロシュティー木簡が458,紙文書が301,303A,304,307である.その他の出土品のなかでは,楼蘭出土の木製のストゥーパ.封検のうち,453と454は籾山明先生(埼玉大学)のいうコニーデ型で小さく,それに対応するかのように封泥匣もきわめて小さいもの.ヘディン関係の写真や彼のスケッチ作品,そしてその他の遺品など.ただ詳しい英語の解説がないので,残念ながらよくわからない.館内のカフェで遅めの昼食.入場無料ということもあり,家族連れでけっこう混んでいる.15:00過ぎのバスで市内まで戻り,今度は65番のバスに乗り換え,シェップスホルム橋を渡り,シェップスホルメン島にある東洋文化博物館へ.この時刻になるともう暗く,既に夜の雰囲気.博物館の特設展示はなんと日本の刺青.大きなパネル展示が1階にも2階にも.ミュージアムショップでは図録や大型ポスターまで売っている.もっとも2階の大半は中国の北朝から隋・唐期にかけての仏像で,「景明三年十一月十一日弟子」劉未劉堆劉寄劉黒」等四人造弥勒像一■(身+区)」上為國家皇帝下及」七世父母眷属□□大小」(下略)」という銘文を有する北魏仏もあった.16:15,博物館を出て,再び65番のバスで市内に戻る.午前中さんざん探し回ったインフォメーションセンターを見つけたので中をのぞき,17:20,ホテルに戻る.少し休んで,18:00,今度は地下鉄に乗り,旧市街ガムラ・スタンにあるスウェーデン料理の店ツムフランシスカーナへ.味が濃くて量が多いスープとデッシュ,そしてビール.20:00,再び地下鉄でホテルに戻る.20:30,ホテル着.メールを見て洗濯し,22:30,この日記を半分までつけたところで眠くなって就寝.
by s_sekio
| 2005-12-18 10:14
| 日記