2011年 09月 01日
中国・北京(11/08/30) |
6:20頃起床,7:30朝食.9:00から学会2日目.渡辺晃宏「日本文書木簡的成立与展開」(吉村昌之),寺崎保広「論紙和木簡在日本使用中的区別―以考課及選叙制度為例」(金秉駿).この2報告が終わったところで,馬場先生とともに退出.学会は,その後,李成市「東亜中的百済木簡」(金慶浩),昼食,舘野和己「日本古代的過所木簡与交通検査」(侯旭東),冨谷至「視角木簡的研究展望」(李均明),ブレイク,討論,木簡科研の代表である角谷先生による閉会の辞と続いたはずだが,翌31日に会議を控えていたので,馬場先生とタクシーで空港へ.道路はスムーズで,12:00過ぎ,第3ターミナルへ.手続きをして,ゲート付近で買い物.いつものことだが,どうして食べたくなるようなレストランがないのだろう.結局断念する.14:45発のNH0906で成田へ.14:39始動,15:07離陸.案の定,水平飛行に入ると直ちに「夕食」.空席を一つはさんだ両隣の乗客は,飛行中も携帯を操作しているし,CAも注意しない.19:02着陸,19:15停止.多分,Maxとき351号は間に合わないだろうと思ってはいたのだが,やはり無理のようで,スカイライナー48号で日暮里へ.東京からMaxとき353号で新潟へ.自宅には0:30前に着.かくして2泊3日の北京行きは終わった.短期間のわりには(短期間の故か),疲れた旅ではあった.
木簡科研には,日本史の先生方が5人参加されており,やはり紙木併用というのが大きな問題になっている.今回も,とくに寺崎先生の報告は,具体的な場における紙と木の使い分けを解明しようとしたもので,高い到達点を示したものであった.そもそも「木簡」という総称自体が,紙木併用期という時代認識を前提としている.もちろんその木簡は形状によりさらに細分化されるし,渡辺先生の報告にもあるように,機能によっても分類が行われるのだが,木簡を分類すると同時に,あるいはそれ以上に,紙に対する木なのであり,絶えず紙が随伴しており,そのことを無視して日本木簡の研究はありえないという意味で宿業のようなものである.しかしどうも中国の簡牘研究者は,紙の存在を念頭に置いていない.もちろん楼蘭のように紙木併用の事例はある.どうやら,あまりにも各地で大量の簡牘が出土しているためか,特定の地域の特定の時代(特定の時代の特定の地域かもしれない)の簡牘だけに関心が限定されがちなのであろう.新疆の簡牘研究者(なんていないと思うのだが)が参加すれば,楼蘭簡牘も話題になったであろうが,果たして紙木併用という問題が重視されたかどうかはわからない.かく言う私も,長沙呉簡が機縁で,無謀にも簡牘研究に,それこそ50の手習いで手を染めることになったのであるが,戦国・秦漢簡牘に対する不勉強を痛感している.韓国で出土している木簡も紙木併用期のものであってみれば,やはりあらためて紙木併用期の中国簡牘(木簡と言うべきか)を検討する新しい視座を獲得すべきかもしれない.長沙呉簡も時代的には紙木併用期のものなのだが,紙が出土していない以上,どうにもならないし,呉簡の多様性から推測して,紙が優先的に用いられた局面というか場面はきわけて限定されていたのではないか,と考えている.
そう言えば,コメンテーターの韓樹峰先生のおかげで,今回報告で取り上げた賦税納入簡が,魏晋時代の国家と社会について再検討する上で,大きな手がかりを提供してくれそうな予兆を感じることができた.これは韓先生に感謝しなければならない.と書くと,なにやら話が大げさに聞こえるかもしれないが,詳しくはいずれあらためて.
木簡科研には,日本史の先生方が5人参加されており,やはり紙木併用というのが大きな問題になっている.今回も,とくに寺崎先生の報告は,具体的な場における紙と木の使い分けを解明しようとしたもので,高い到達点を示したものであった.そもそも「木簡」という総称自体が,紙木併用期という時代認識を前提としている.もちろんその木簡は形状によりさらに細分化されるし,渡辺先生の報告にもあるように,機能によっても分類が行われるのだが,木簡を分類すると同時に,あるいはそれ以上に,紙に対する木なのであり,絶えず紙が随伴しており,そのことを無視して日本木簡の研究はありえないという意味で宿業のようなものである.しかしどうも中国の簡牘研究者は,紙の存在を念頭に置いていない.もちろん楼蘭のように紙木併用の事例はある.どうやら,あまりにも各地で大量の簡牘が出土しているためか,特定の地域の特定の時代(特定の時代の特定の地域かもしれない)の簡牘だけに関心が限定されがちなのであろう.新疆の簡牘研究者(なんていないと思うのだが)が参加すれば,楼蘭簡牘も話題になったであろうが,果たして紙木併用という問題が重視されたかどうかはわからない.かく言う私も,長沙呉簡が機縁で,無謀にも簡牘研究に,それこそ50の手習いで手を染めることになったのであるが,戦国・秦漢簡牘に対する不勉強を痛感している.韓国で出土している木簡も紙木併用期のものであってみれば,やはりあらためて紙木併用期の中国簡牘(木簡と言うべきか)を検討する新しい視座を獲得すべきかもしれない.長沙呉簡も時代的には紙木併用期のものなのだが,紙が出土していない以上,どうにもならないし,呉簡の多様性から推測して,紙が優先的に用いられた局面というか場面はきわけて限定されていたのではないか,と考えている.
そう言えば,コメンテーターの韓樹峰先生のおかげで,今回報告で取り上げた賦税納入簡が,魏晋時代の国家と社会について再検討する上で,大きな手がかりを提供してくれそうな予兆を感じることができた.これは韓先生に感謝しなければならない.と書くと,なにやら話が大げさに聞こえるかもしれないが,詳しくはいずれあらためて.
by s_sekio
| 2011-09-01 08:34
| 日記