2005年 10月 13日
陝西・咸陽前秦墓(再) |
咸陽市文物考古研究所「陝西咸陽市頭道塬十六国墓葬」,『考古』2005年第6期:43-58,図版8.
M1:18
字々思祖墓
M1:19
丁好思大
以上,文字磚2点.
M3:40
李
M3:39
侯休
臣休
以上,印象2点3面.
文林小区とは道路(文林路)をはさんだ向かい側から,「五胡」時代の墓葬が3座,唐代のものが2座出土.紀年を確定するものはないが,文林小区の墓葬と同じく豊かな副葬品に恵まれており,その内容の類似性から「五胡」時代,しかも前秦時代と判定.
3号墓の墓主は印文から李休か.『資治通鑑』には前秦の官員・武将として李姓の者は多いが,京兆を本貫とする者は確認できない.
1号墓の文字磚については,「丁好」を人名とする.「大」字は関中方言で父親のこととかで,「丁好が父を思う(思慕する)」と解釈するが,もう一方の文字磚とどうつながるのかは不明.墓主に関わるものであることは確かだが,よくわからない.両墓主は同族ではないのだろうか.いずれにせよ,文林小区の墓葬と同じように豊かな副葬品を擁しながら,墓主にまつわる情報は貧弱である.
M1:18
字々思祖墓
M1:19
丁好思大
以上,文字磚2点.
M3:40
李
M3:39
侯休
臣休
以上,印象2点3面.
文林小区とは道路(文林路)をはさんだ向かい側から,「五胡」時代の墓葬が3座,唐代のものが2座出土.紀年を確定するものはないが,文林小区の墓葬と同じく豊かな副葬品に恵まれており,その内容の類似性から「五胡」時代,しかも前秦時代と判定.
3号墓の墓主は印文から李休か.『資治通鑑』には前秦の官員・武将として李姓の者は多いが,京兆を本貫とする者は確認できない.
1号墓の文字磚については,「丁好」を人名とする.「大」字は関中方言で父親のこととかで,「丁好が父を思う(思慕する)」と解釈するが,もう一方の文字磚とどうつながるのかは不明.墓主に関わるものであることは確かだが,よくわからない.両墓主は同族ではないのだろうか.いずれにせよ,文林小区の墓葬と同じように豊かな副葬品を擁しながら,墓主にまつわる情報は貧弱である.
by s_sekio
| 2005-10-13 11:51
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