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2019年 10月 18日
10日ほど前に,ツイッターを始めました.今更何をつぶやくのかと自分でも思うのですが,ゼミの卒業生に強く勧められた結果です.日々の仕事を簡単に報告するために使うつもりです(なおアカウントは非公開です).こちらのブログは,読書記録や研究余滴に特化させることになると思います.もっとも新しいテーマに取り組む予定はないので,余滴は書くことがありません.
最近は旅に出る機会も減ってしまったし,なぜか画像をうまくアップできなくなってしまったので,なんだか無味乾燥な内容になりそうですが,お付き合いください.
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by s_sekio
| 2019-10-18 15:40
| その他
2019年 10月 01日
長谷川亮一『地図から消えた島々 幻の日本領と南洋探検家たち』、吉川弘文館・歴史文化ライブラリー322、2011年6月,4-642-05722-6.
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by s_sekio
| 2019-10-01 17:58
| 読書
2019年 09月 19日
白戸圭一『アフリカを見る アフリカから見る』、ちくま新書1428,2019年8月,4-480-07242-9.
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by s_sekio
| 2019-09-19 14:21
| 読書
2019年 08月 30日
『敦煌学輯刊』の2019年第1期が届いた.いつもと違い,随分と厚い.目次を開いたら,昨年逝去された陳国燦先生の追悼号.どうりで.榮新江・王素・黄正建・李方・張榮強・劉安志・孫継民・鄭阿財といった諸氏のお名前が並ぶ.王素氏の「陳国燦先生与《吐魯番出土文書》」は,20頁に及ぶ長文.鄭阿財氏のように台湾からの寄稿もいくつか見られた.で,日本からはと言うと,葭森健介(張紫毫訳)「日本的中国制度史研究与出土文書――寄語陳国燦先生的業績」の一本だけ.しかも3頁足らずの小文で,がっかり.
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by s_sekio
| 2019-08-30 08:03
| 余滴
2019年 08月 18日
拙著第六章に関わって,表題の「曹真残碑」について,津田資久「「曹真残碑」考釈」,『国士舘東洋史學』創刊号,2006年を熟読.
曹真没後,程なくして建立されたこの碑には,司馬懿と,曹真を継いだ曹爽との対立の影響はない.著者はむしろ司馬懿が積極的に建立に関わった「官碑」であるとする. 碑の性格は頌德碑とされるが,要するに後漢でしばしば見られた頌政碑であり,とくに死後に建立された点に特徴があろう. 本論文の高い到達点については,別途取り上げたいが,もし曹真が,通説(俗説)のように,大月氏をはじめとする中央アジア諸国の招聘に少しでも関与していたのであれば,当然碑文でも言及されたであろうが,その形跡は見られない.当然と言えば当然だが,この点からも,彼がそのような役割を果たす立場になかったことがわかる.それとは対照的に,220年前後に張掖に割拠した張進の名前が見えており,都督雍凉二州諸軍事として対応した業績として記録されているのである. 別途あらためて三国志本伝の記述と碑文の比較対象を行なわなければならないが,それは後日.
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by s_sekio
| 2019-08-18 20:22
| 三国志の考古学
2019年 08月 13日
●『後漢書』巻8霊帝紀中平二(185)年八月条
八月,以司空張温為車騎将軍,討北宮伯玉. ●同三(186)年二月条 太尉張延罷.車騎将軍張温為太尉.
●同四(187)年六月条 漁陽人張純与同郡張挙挙兵叛,攻殺右北平太守劉政・遼東太守楊終・護烏桓校尉公綦稠等,挙(兵)自称天子,寇幽・冀二州. ●同五(188)年九月条 遣中郎将孟益率騎都尉公孫瓚討漁陽賊張純等. ●同五年十一月条 公孫瓚与張純戦於石門,大破之. *注「時烏桓反叛,与賊張純等攻薊中,故瓚追撃之」 ●同六(189)年三月条 幽州牧劉虞購斬漁陽賊張純. ●同六年四月条 幽州牧劉虞為太尉. ●『後漢書』巻73劉虞伝 後車騎将軍張温討賊辺章等,発幽州烏丸三千突騎,而牢禀逋懸,皆畔還本国.前中山相張純私謂前太山太守張挙曰,今烏桓既畔,皆願為乱,涼州賊起,朝廷不能禁.又洛陽人妻生子両頭,此漢祚衰尽,天下両主之徴也.子若与吾共率烏桓之衆以起兵,庶幾可定大業.挙因然之.四(187)年,純等遂与烏桓大人共連盟,攻薊下,燔焼城郭,虜略百姓,殺護烏桓校尉箕稠・右北平太守劉政・遼東太守陽終等,衆至十余万,屯肥如.挙称天子,純称弥天将軍安定王,移書州郡,云挙当代漢,告天子避位,敕公卿奉迎.純又使烏桓峭王(遼東烏桓蘇僕延)等歩騎五万,入青・冀二州,攻破清河・平原,殺害吏民.朝廷以虞威信素著,恩積北方,明年(188),復拝幽州牧.虞到薊,罷省屯兵,務広恩信.遣使者告峭王等以朝恩寛弘,開許善路.又設賞購挙・純.挙・純走出塞,余皆降散.純為其客王政所殺,送首詣虞.霊帝遣使者就拝太尉(本紀189年4月),封容丘侯. ●『後漢書』巻73公孫瓚伝 中平中,以瓚督烏桓突騎,車騎将軍張温討涼州賊.会烏桓反畔,与賊張純等攻撃薊中,瓚率所領追討純等有功,遷騎都尉.張純復与畔胡丘力居等寇漁陽・河間・勃海,入平原,多所殺略.瓚追撃戦於石門,虜遂大敗,棄妻子踰塞走,悉得其所略男女.瓚深入無継,反為丘力居等所囲於遼西管子城,二百余日,糧尽食馬,馬尽煮弩楯,力戦不敵,乃与士卒辞訣,各分散還.時多雨雪,隊阬死者十五六,虜亦飢困,遠走柳城.詔拝瓚降虜校尉,封都亭侯,復兼領属国長史.職統戎馬,連接辺寇.毎聞有警,瓚輒厲色憤怒,如赴讐敵,望塵奔逐,或継以夜戦.虜識瓚声,憚其勇,莫敢抗犯. ●『後漢書』巻90烏桓伝 中平四(187)年,前中山太守張純畔,入丘力居衆中,自号弥天安定王,遂為諸郡烏桓元帥,寇掠青・徐・幽・冀四州.五(188)年,以劉虞為幽州牧,虞購募斬純首,北州乃定. ●『三国志』巻8公孫瓚伝 光和中,涼州賊起,発幽州突騎三千人,仮瓚都督行事伝,使将之.軍到薊中,漁陽張純誘遼西烏丸丘力居等叛,劫略薊中,自号将軍,略吏民攻右北平・遼西属国諸城,所至残破.瓚将所領,追討純等有功,遷騎都尉.属国烏丸貪至王率種人詣瓚降.遷中郎将,封都亭侯,進屯属国,与胡相攻撃五六年.丘力居等鈔略青・徐・幽・冀,四州被其害,瓚不能禦. 朝議以宗正東海劉伯安既有徳義,昔為幽州刺史,恩信流著,戎狄附之,若使鎮撫,可不労衆而定,乃以劉虞為幽州牧.虞到,遣使至胡中,告以利害,責使送純首.丘力居等聞虞至,喜,各遣訳自帰.瓚害虞有功,乃陰使人徼殺胡使.胡知其情,間行詣虞.虞上罷諸屯兵,但留瓚将歩騎万人屯右北平.純乃棄妻子,逃入鮮卑,為其客王政所殺,送首詣虞(後漢書本紀189年3月).封政為列侯.虞以功即拝太尉,封襄賁侯(同189年4月).会董卓至洛陽,遷虞大司馬(同189年9月),瓚奮武将軍,封薊侯. ●袁宏『後漢紀』集校,巻25霊帝紀中平四(187)年条 是歳,漁陽人張純反.初,張温発幽州烏桓以討涼州.故中山太守張純請将之,不聴,使涿令公孫瓚.純忿不得将,因説故太山太守張挙曰,烏桓数被徴発,死亡略尽,今不堪命,皆願作乱.国家作事如此,漢祚衰亡之徴.天下反覆,率竪子故.若英雄起,則莫能御.吾今欲率烏桓,奉子為君,何如.挙曰,漢祚終訖,故当有代之者,吾安可以若是.純曰,王者網漏鹿走,則智多者得之,子勿擾也.遂共率烏桓作乱,故人喜悦帰純者十余万. ●同六(189)年三月条 三月己丑,光禄勲劉虞為太尉,領幽州牧,撃張純.虞使公孫瓚撃純,大戦破之.純客王政斬純首降.封虞為襄賁侯,瓚為都亭侯,并鎮北辺. 以上が,187年から189年にかけて起こった「張純の乱」に関する基礎史料である.これだけの史料から何(もちろん張純の乱だが)を,どう論じるのか.そもそも論じられるのか. #
by s_sekio
| 2019-08-13 09:30
| 余滴
2019年 08月 11日
岡村秀典『三角縁神獣鏡の時代』,吉川弘文館・歴史文化ライブラリー,1999年5月,4-642-05466-9.
2000年7月29日読了のメモがあり,再読.教えられることが多かった.なんとか活かしたいものだ.
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by s_sekio
| 2019-08-11 20:36
| 読書
2019年 08月 11日
岡田英弘『倭国 東アジア世界の中で』,中央公論社・中公新書482,1977年10月.
手元にあるのは,同年11月に出た再版.1979年3月7日の読了記録がある.この本,今でも版を重ねているらしい.
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by s_sekio
| 2019-08-11 15:58
| 読書
2019年 08月 07日
仁藤敦史『卑弥呼と台与 倭国の女王たち』,山川出版社・日本史リブレット人001,2009年10月,4-634-54801-5.
2011年8月に読んで以来の再読.
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by s_sekio
| 2019-08-07 06:09
| 読書
2019年 07月 14日
東 晋次『退職老人の日本語教育――日中協同教育in天津』,白帝社,2017年9月,4-86398-303-8.
一気に読了.東先生,ありがとうございました.
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by s_sekio
| 2019-07-14 07:12
| 読書
2019年 07月 12日
堀内淳一『三国志とその後の倭国』,皇學館大學出版部・皇學館大學講演叢書171,2019年2月,ISBNはなし.
市販されているので(477円+税),取り寄せ可能.
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by s_sekio
| 2019-07-12 07:12
| 読書
2019年 07月 09日
表記の墓の出土品も,本日開催の三国志展で展示されている.目玉の一つかもしれない.当該墓(06NJSM1)については,簡報が『文物』2008年第12期に載っているが,呉の時代の宗室墓と推定されている.神亭壺をはじめとする出土文物については,簡報や三国志展の図録に譲るとして,この墓の墓室壁面上部の四隅に,「牛首形石灯台」がある.白い牛面(水牛か)が配されているのだが,灯台であると同時に辟邪の役割を負っていたのであろう.この灯台は,敦煌魏晋墓では,獣面,そして酒泉嘉峪関では側獣磚(本来は土偏)であった.河西地域でも違いがあったのだが,等しく実在しないような動物であった.江南ではさらに違いが顕著だが,こちらは実在していてもおかしくないような面をしている.より写実的な表情をしている.この辟邪を兼ねた灯台の実例を集めてみるのも必要かもしれない.果てしのない仕事だが.
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by s_sekio
| 2019-07-09 17:36
| 三国志の考古学
2019年 07月 06日
増井 元『辞書の仕事』,岩波新書1452,2013年10月,4-00-431452-3.
いま「教養」ということばははやりませんが,直ちに必要ではないかも知れないがあることについて知っている,という豊かさ・贅沢さ(以下,略).
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by s_sekio
| 2019-07-06 20:27
| 読書
2019年 06月 30日
島田周平『物語 ナイジェリアの歴史 「アフリカの巨人」の実像』,中公新書2545,2019年5月,4-12-102545-6.
「物語」が冠されているが,詳細な概説書.ただやはり独立後の混乱は,ビアフラ紛争も含めて,もっと整理と掘り下げがないと,やはりわからない.
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by s_sekio
| 2019-06-30 08:29
| 読書
2019年 06月 23日
拙著,『三国志の考古学―出土資料からみた三国志と三国時代―』が,東方書店から刊行されました(東方選書52,本体価格2,000円,4-497-21913-8).本ブログ,このところ画像アップ機能が働かないので,写真はありません.自分が「三国志」をタイトルにした本を書くことになるとは思ってもいませんでしたが,亳州市の曹氏一族墓出土の刻字塼を扱ったのはもう四半世紀も昔のことでした.そしてそれ以来,朱然墓の名刺簡,河西の塼画墓(とくに曹魏末の嘉峪関新城一号墓),そして何よりも長沙走馬楼呉簡などなどとも20年近くつき合って来ました.これらの一次史料群に加え,後代のトゥルファン出土墓誌や敦煌出土鎮墓瓶(銘)などにも登場してもらい,出土資料(その多くは出土文字資料ですが)を最大限活用しながら,三国志と三国時代について考えてみたものです.曹操墓の高陵や朱然墓などからの出土資料にもそれぞれ一章を割きましたが,結果的には,英雄の活躍しない(登場しない)三国時代史となりました.来月から上野の東京国立博物館で三国志展が開催されますので,時宜にかなった出版となりました.私が本書を一通り書き上げたのは昨年10月のことですが,その時点では三国志展のことは全く知らなかったので,本書の内容と展示物にはもちろん重なる部分はありますが,あまり展示の参考にはならないかもしれません.その点はご容赦ください.
なお本書の表紙にある執筆者紹介の最後に本ブログのURLが記載されていますが,「https://」の「s」が脱落していますので,ご注意ください.正しくは, https://sekio516.exblog.jp/ です.
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by s_sekio
| 2019-06-23 14:27
| 宣伝
2019年 06月 23日
村上信一郎『ベルルスコーニの時代――崩れゆくイタリア政治』,岩波新書1705,2018年2月,4-00-431705-0.
イタリア,以前から行きたい国ではなかったが,これを読んでその気を一層強くした.
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by s_sekio
| 2019-06-23 07:10
| 読書
2019年 06月 19日
昨夜の山形県沖を震源地とする地震では,お見舞いメールをいただき,ありがとうございました.大学や拙宅のある新潟市西区は震度4でしたが,拙宅では小さな写真立てやロシアの陶製置物が倒れた程度で事なきを得ました.西区でも停電が発生したようですが,それも免れ安堵したところだったのですが,今朝早く大学に来てみたら,エレベーターが停止したままで,久しぶりに5階にある研究室まで階段を歩いて上って来たところです.重ねて御礼まで.
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by s_sekio
| 2019-06-19 07:43
| その他
2019年 06月 17日
一昨日の投稿は,秋に刊行予定の『河西魏晋・〈五胡〉墓出土図像資料(塼画・壁画)目録』の凡例に「附 用語について」として掲載する文章のネタ整理.この目録,大方出来上がったのだが,一番厄介な酒泉市(粛州区)の整理がまだ手つかず.西溝墓群に関しては,以前『西北出土文献研究』第11号に掲載済みなので,原稿があるのだが,それ以外の多くの墓については未完(未着手)なので,先行き不透明といったところ.
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by s_sekio
| 2019-06-17 06:41
| 三国志の考古学
2019年 06月 15日
先ほどの続きだが,「版画塼」「刻画塼」「描画塼」の総称として「画像塼」,その画像塼を,塼=媒体ではなく,事象=画像から見ると「塼画」.だから「画像塼墓」ないしは「塼画墓」ということになり,「壁画」「壁画墓」とは区別されるべきだろう.やはり「装飾塼」とか「装飾墓」という概念は誤解を生じやすいので,慎重になるべきであろう.少なくともデコトラとは訳が違うのだから.
「版画塼」(江氏の画像塼)と「刻画塼」(江氏の彫刻塼)はいずれも塼の表面(平面)に凹凸をつける点では同じで,だからこそ両者を合わせて広義の「画像塼」ということになるのだろうが,版画塼はスタンプを用いて,刻画塼はハンドメイドで凹凸をつけるという違いがある.墓室の床面に並べる舗地塼も版画塼に含まれることになろう.刻画塼はハンドメイドとは言え,線刻もあるし,彫刻(+彩色)もあるので,幅広い内容を有する.また描画塼にも,墨色の墨画塼と,多色の彩画塼とがある.また力士塼のように,描画塼のほかに,造型塼もあるので,さらなる整理が必要だろう.とりあえず,以下のような分類試案. Ⅰ 画像塼(直方体の塼の表面に画像を定着させたもの) 1)版画塼(舗地塼を含む) 2)刻画塼 i 線刻塼 ii 彫刻塼 3)描画塼 i 彩画塼 ii 墨画塼 Ⅱ 造型塼(特定の形状によって事象を表現したもの) ------------------------------------------------- A 塼画(←画像塼) B 壁画
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by s_sekio
| 2019-06-15 19:25
| 三国志の考古学
2019年 06月 15日
江介也氏が「河西地区魏晋墓の墓門上装飾塼壁(照壁)と墳墓観・他界観」のなかで,「装飾塼」というカテゴリーを提唱している.「画像塼」「雕刻塼」「絵画塼」の総称である.その定義は,「個別塼単位でさまざまな方法により広義の装飾加工がなされた塼の総称」(843頁)ということである.この「装飾」とは,町田章『古代東アジアの装飾墓』などに倣ったようだが,他にも菅野恵美『中国漢代墓葬装飾の地域的研究』がある.私もこの「装飾」なる語に惹かれた一人だが,墓を築造した当事者にしてみれば,「飾る」ことが目的だったわけではないだろう.安易と言われることを覚悟して,ウィキペディアを見ると,「一般には物品,建築物,身体等を装い飾ること,またそれに用いる飾り.特にそれ自体が機能を持たず,視覚的美感に訴えるものをいう」とある.この文章,とくに後段による限り,「装飾」墓(葬)とか,「装飾」塼とかいった用語は適切ではないように思うが,如何だろうか.
江氏は各種の塼を「画像塼」「雕刻塼」「絵画塼」に分類しているが,上の総称はこの分類の妥当性にも関わってくるので,コトは厄介である. 私たちは,塼の表面に絵が描かれたものを「画像磚」と通常呼んでいるが(『敦煌仏爺廟湾西晋画像磚墓』/『河西画像磚芸術』),江氏は「画像塼」を「型押しによる装飾塼で,型には塼面大のものと小型スタンプあり」と定義する.通常「画像磚」と呼んでいるのは「絵画塼」で,これは「顔料による装飾塼で,彩絵塼・墨絵塼」と定義され,さらに「他に単色の「彩絵塼」や,複合装飾の「彩絵画像塼」など」もあるという.重慶出版社の「彩絵磚」シリーズや『嘉峪関魏晋墓彩絵磚画浅知』などがあるが,この「彩絵磚」以外にも単色の「墨絵磚」があるため,両者を包含する必要から「絵画塼」という語を用いるのであろう.再びウィキペデアで恐縮だが,「絵画」とは,「物体の形象を平面に描き出したもの」ということなので,間違ってはいない.ついでに「画像」だが,こちらは「事象を視覚的に媒体に定着させたもので,そこから発展した文字は含まない.・・・定着される媒体は主に2次元平面の紙であるが,・・・3次元の貼り絵やホログラフィー等も含まれる」とある.本来,「絵画」と「画像」はステージないしはグレードの異なる概念ではないだろうか.このウィキペデアの説明を尊重すれば,江氏の「雕刻塼」も「絵画塼」も,等しく「画像塼」というカテゴリーに含ませることができよう.江氏は,考古学の研究史を振り返り,「塼面の凹凸により図像・紋様が表現された塼」が広義の画像塼であり,そもそも本来(狭義に)は,「型押し」を基本条件としていたという.当初,「型押し」塼が中心に出土したので,それを「画像塼」と呼んだのだが,やがて「型押し」塼以外にも「彫刻したもの」も出土し,それも同じように「画像塼」と呼ぶようになったが,絵が塼の平面(表面)に描かれた塼は含まれていなかった.にもかかわらずこれさえも「画像塼」(実際には「画像磚」)と呼ぶようになってしまった.今,原点に戻り,ちゃんとこれらを区別すべきである,ということのようだ.しかし見たように,「画像」は本来的に「絵画」よりも広い概念である.江氏の言う「絵画塼」は「描画塼」,「彫刻塼」は「刻画塼」とでも呼んだほうが良いのではないだろうか.「彫刻塼」というと,これも幅広くなってしまう.あくまでも直方体の塼の平面(表面)を彫り込んだものなので,造型塼ではないからである.そして「画像塼」は「版画塼」とでも呼んだらどうだろうか. 河西魏晋墓で言うなら,「描画塼」「刻画塼」「版画塼」で,この三者は直方体(稀に三角錐体)の表面(稀に側面)を利用して加工されたものである.そしてこれ以外に補助的な役割を持つ「造型塼」(側獣塼や斗拱塼など)があるが,この「造型塼」を除く三者を中心としたものが「塼画墓」であり,やはり「壁画墓」とは区別すべきであろう.もちろん複数の塼の表面(稀に側面)を利用した塼画墓もあり,「塼画墓」と「壁画墓」の中間形態もあるが,「描画塼」のバリエーションと言うべきではないだろうか. #
by s_sekio
| 2019-06-15 14:46
| 三国志の考古学
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