2007年 05月 12日
「五胡」時代の随葬衣物疏 |
2004年,アスターナ408号墓から出土した「五胡」時代の随葬衣物疏(04TAM408:17)について,大きなモノクロ写真(『考古』2006年第12期:10頁)と,釈文(『吐魯番学研究』2004年第2期:10)が公表されているが,後者では,「吝尊鍾妻令狐阿婢随葬衣物疏」と命名されている.それは,文末すなわち附加文言を,「吝尊鍾妻令狐阿婢随身雑衣物凡」種」と釈読した結果であり,町田隆吉氏も最近,これを支持された(『西北出土文献研究』第5号:42頁).これに対して,池田温氏から,私信で「吝」なる姓は考えられず,「右」,「石」,「古」などの字を書き損なったのではないかという教示をいただいた.そこで,あらためて写真を観察すると,「尊鍾」は正しくは「蓴鍾」と釈読すべきことがわかる.「蓴鍾」であれば,蓴明(『吐魯番出土文書』第1冊:172頁),蓴興(同131頁)などが「五胡」時代のトゥルファン文書にも散見される.冒頭の一字はたしかに短いながら縦画があり,「吝」字に近いのだが,「右」と考えることも不可能ではない.これを,「右,蓴鍾妻令狐阿婢随身雑衣物凡」種」と釈読することも十分に可能であろう.リストに続けて書かれる附加文言には,紙面の右方に位置するリスト部分について,「衣裳物在右」(『吐魯番出土文書』第1冊:98頁),「随身衣裳物数在右」(同176頁)などとあり,さらに「右條衣裳雑物悉張世容随身所有」(同184頁),「凡有右條衣物…」(同185頁)という説明を付している例もあるので,本衣物疏でも「右」字と判断してよかろう.その点では,榮新江氏らの釈読(『西北出土文献研究』第4号:6頁)が支持されるべきであろう.ただ氏らが冒頭の縦画を,「ヽ右」と釈読しているのは,いかがであろうか.
問題は,かかる随葬衣物疏の作成年代をどう考えるか,ということで,上の附加文言の書式からもある程度は予測されるところだが,別途考える必要があろう.随葬衣物疏の書式,さらに言えば,トゥルファンにおける死生観の変遷過程について,新たな知見を加えることができそうだが,とりあえずここまで.
問題は,かかる随葬衣物疏の作成年代をどう考えるか,ということで,上の附加文言の書式からもある程度は予測されるところだが,別途考える必要があろう.随葬衣物疏の書式,さらに言えば,トゥルファンにおける死生観の変遷過程について,新たな知見を加えることができそうだが,とりあえずここまで.
by s_sekio
| 2007-05-12 00:47
| 余滴