2007年 02月 14日
清水はるか「麹氏高昌国の墓誌の変化と末期の政治」 |
2007年2月3日(土),西北出土文献を読む会例会,於新潟大学五十嵐キャンパス.
約200点に上る墓誌の形状と書式を整理・分類した作業の成果.報告者によると,官位の上下と磚の大きさは必ずしも対応するわけではなく,書写状況だけは,7世紀に向けて朱書に統一されていくという.たしかに7世紀に入ると墨書は少なく,ほとんどは朱書だが,ただし陰刻朱填が6例だけ見られる.しかしこれらはいずれも国都の張氏一族墓から出土したもので,張氏一族の特例と言うことができる.
また書式だが,既に白須淨眞氏が7世紀における変化を「新たな墓誌」,「新しさだけを強調した墓誌」の出現から説いているが,報告者は前者を前期・中期・後期に時期区分し,死者を顕彰する文言に加え,哀悼の文言が更に付加されるプロセスを探る.このような前者の出現に影響されて後者が出現することを時間差を示しながら推測する.以上は国都での変化だが,交河など地方では,やはり白須氏が指摘した変化を確認するが,白須氏がその背後に制度的な変化を予測したのに対し,報告者はこれを否定する.
高昌国が隋・唐と国交を持つのは,「正史」による限りでは608年以降だが,実際には「新たな墓誌」の初出は604年であり,政治的な関係を媒介にしなかった可能性も指摘されている.ただ墓誌の変化は,中国の葬送文化の浸透があって初めて可能だったと考えるべきであろうから,今後,この齟齬をどう処理していくかが問われることになるだろう.
約200点に上る墓誌の形状と書式を整理・分類した作業の成果.報告者によると,官位の上下と磚の大きさは必ずしも対応するわけではなく,書写状況だけは,7世紀に向けて朱書に統一されていくという.たしかに7世紀に入ると墨書は少なく,ほとんどは朱書だが,ただし陰刻朱填が6例だけ見られる.しかしこれらはいずれも国都の張氏一族墓から出土したもので,張氏一族の特例と言うことができる.
また書式だが,既に白須淨眞氏が7世紀における変化を「新たな墓誌」,「新しさだけを強調した墓誌」の出現から説いているが,報告者は前者を前期・中期・後期に時期区分し,死者を顕彰する文言に加え,哀悼の文言が更に付加されるプロセスを探る.このような前者の出現に影響されて後者が出現することを時間差を示しながら推測する.以上は国都での変化だが,交河など地方では,やはり白須氏が指摘した変化を確認するが,白須氏がその背後に制度的な変化を予測したのに対し,報告者はこれを否定する.
高昌国が隋・唐と国交を持つのは,「正史」による限りでは608年以降だが,実際には「新たな墓誌」の初出は604年であり,政治的な関係を媒介にしなかった可能性も指摘されている.ただ墓誌の変化は,中国の葬送文化の浸透があって初めて可能だったと考えるべきであろうから,今後,この齟齬をどう処理していくかが問われることになるだろう.
by s_sekio
| 2007-02-14 14:41
| 学会・研究会