2006年 08月 10日
トゥルファン出土の唐代領抄文書 |
先に紹介した『敦煌吐魯番研究』第9巻の陳國燦「鄯善新発現的一批唐代文書」には,以下のような新出の領抄文書も掲げられている.
「唐総章二(669)年□(呂)懃子交糧償銅錢抄」(TSYMX1:1-8)
「唐垂拱元(685)年九月呂懃子納執衣錢抄」(TSYMX1:3-9)
かつて『吐魯番出土文物研究会会報』第58号(1991年4月)に,「中央アジア出土唐代領抄文書一覧」なる表を掲載したが(http//h0402.human.niigata-u.ac.jp/^dunhuang),それを補訂する必要が生じた.そもそも唐代の交付文書(納税証明書)を「領抄文書」と呼んだのは,文末が「領」字か「抄」字で結ばれているからだが,7世紀にはほぼ「領」字が使われ,8世紀以降はこれに代わって「抄」字が用いられるようになる(「抄」字の初出は692年).ところが新出の2点は,7世紀でありながら,「領」字ではなく「抄」字,しかも釈文によると,宋代以降に定型化すると考えられていた(というか,私が勝手に考えていた)「鈔」字ではないか.「領」⇒「抄」⇒「鈔」という推移は,全く成り立たないということである.推測というか,勝手な思い込みがまた一つ否定されてしまった.
なお合計23点に上る新出文書には,契約文書が多く,いずれも呂懃子をはじめとする呂氏一族に関わるもののようである.租佃契など経済史の研究者が喜びそうな内容のものがいくつかある.なかには断片だが,「唐以口分田爲質貸銀錢契」(TSYMX1:3-10)と命名されたものもあり,釈読も含めて論議を呼びそうである.
「唐総章二(669)年□(呂)懃子交糧償銅錢抄」(TSYMX1:1-8)
「唐垂拱元(685)年九月呂懃子納執衣錢抄」(TSYMX1:3-9)
かつて『吐魯番出土文物研究会会報』第58号(1991年4月)に,「中央アジア出土唐代領抄文書一覧」なる表を掲載したが(http//h0402.human.niigata-u.ac.jp/^dunhuang),それを補訂する必要が生じた.そもそも唐代の交付文書(納税証明書)を「領抄文書」と呼んだのは,文末が「領」字か「抄」字で結ばれているからだが,7世紀にはほぼ「領」字が使われ,8世紀以降はこれに代わって「抄」字が用いられるようになる(「抄」字の初出は692年).ところが新出の2点は,7世紀でありながら,「領」字ではなく「抄」字,しかも釈文によると,宋代以降に定型化すると考えられていた(というか,私が勝手に考えていた)「鈔」字ではないか.「領」⇒「抄」⇒「鈔」という推移は,全く成り立たないということである.推測というか,勝手な思い込みがまた一つ否定されてしまった.
なお合計23点に上る新出文書には,契約文書が多く,いずれも呂懃子をはじめとする呂氏一族に関わるもののようである.租佃契など経済史の研究者が喜びそうな内容のものがいくつかある.なかには断片だが,「唐以口分田爲質貸銀錢契」(TSYMX1:3-10)と命名されたものもあり,釈読も含めて論議を呼びそうである.
by s_sekio
| 2006-08-10 11:23
| 余滴