2006年 06月 15日
呉簡の吏民簿と西魏の計帳 |
唐代史研究の編集部からの依頼で,昨秋の唐代史研究会での報告を基礎にするということで(実際にはちっとも基礎になっていない),「長沙呉簡中の名籍について」という一文を書き上げたのが5月10日.枚数も頭脳も足りなくて書き残したことばかりが多く,「長沙呉簡中の名籍について・補論」と題して,名籍の集計簡に随伴された内訳簡について書き足した.それが6月15日となった今日,ようやく書き上がったのだが,吏民簿の内訳簡の復元・整理に,西魏時代の計帳文書の集団の集計記載が手がかりを与えてくれた.あくまでもそれは形式の問題に限定されるのだが,計帳文書で「都合」によって導かれている諸項目を見ていると,支配のあり方の違いも浮かび上がってきそうである.租や税租といった田土に関する負担も人頭・戸単位の負担とともに列記する計帳に対して,吏民簿に記録されるのは,人頭単位の負担に限定されており,租・税類はない.吏民田家莂こそは吏民簿にかわってかかる負担を管理する有力な手段だったのではあるまいか.租・税が,筭錢・錢・雑役といった人頭的な負担とは異なった管理下にあったことをあらためて教えてくれるのが,吏民簿の内訳簡なのである.
ところで,呉簡の簿籍をはじめ簡牘の簿籍には,内訳を導くために「其」字が用いられているが,これは書写材料が紙に切り替わってもしばらくは簿籍に使用されていた.ロシア・サンクトペテルブルグ所蔵の5世紀後期のトゥルファン文書中にこの文字が見出せることは以前指摘したが,それから約一世紀を経た西魏時代の計帳文書には姿がない.計帳文書は行頭の位置を上下させることで,内訳の区分の層位を示しており,このような書式のほうがより合理的だったのであろう.
呉簡の理解に,予想以上に敦煌・トゥルファン文書研究の成果が有益であることがあらためてわかった気がして,なんとなく嬉しい気分ではある.
ところで,呉簡の簿籍をはじめ簡牘の簿籍には,内訳を導くために「其」字が用いられているが,これは書写材料が紙に切り替わってもしばらくは簿籍に使用されていた.ロシア・サンクトペテルブルグ所蔵の5世紀後期のトゥルファン文書中にこの文字が見出せることは以前指摘したが,それから約一世紀を経た西魏時代の計帳文書には姿がない.計帳文書は行頭の位置を上下させることで,内訳の区分の層位を示しており,このような書式のほうがより合理的だったのであろう.
呉簡の理解に,予想以上に敦煌・トゥルファン文書研究の成果が有益であることがあらためてわかった気がして,なんとなく嬉しい気分ではある.
by s_sekio
| 2006-06-15 13:00
| 余滴