2013年 02月 19日
1302ドイツ・ボッフム |
2月15日(金)
5時30分少し前に起床.入浴後,食事の前に駅に行き,切符を購入しようと思い,6時40分発.無難にタクシーで前日来た道を戻るが,なかなか遠い.ようやく駅の構内に入ったが,広すぎて,かつ人がごった返しており,なかなかわからない.チケットセンターを見つけ,並んでボッフムまでのチケットを購入.今度は裏口から出てホテルに戻ったら,5分とかからないことがわかる.7時20分朝食.とくにおいしいわけでもないビュフェ.急いで部屋に戻り,仕度をして,8時少し過ぎチェックアウト.裏口から駅へ.ホームがわからず,インフォメーションへ.同僚の桑原先生が調べてくれた8時22分発の列車でボッフムへ.車窓から景色を眺めるが,雪で暗い空に新潟を思い出す.9時3分,ボッフム着.ホームでマティアス先生の出迎えを受ける.そのまま駅近くのイビスボッフムセントラムにチェックイン.日本史学科のケッグ先生の車で大学へ.9時30分には大学着.学部長であるプラッセン先生が出迎えてくれる.パソコンをセットしてマティアス先生の部屋でコーヒーをご馳走になった後,10時から会議室で講演.「古代中国における墓券の展開」と題するもので,伊藤敏雄先生の石刻科研の中間報告書に用意したもの.12時近くまで話し,その後質疑応答.マティアス先生とケック先生が交替で私のパワポ原稿を翻訳して下さり,質疑でも同じように対応して下さる.12時30分少し前,ようやく終了する.新大から留学中の2名の3年生も元気な姿を見せてくれた.その後,原稿の史料部分を翻訳して下さった中国宗教史のディジアシント先生を交え,5人で学内のレストランで昼食をいただく.閑静な環境である.ディジアシント先生は道教史がご専門とのことだが,出土資料を手がかりとして道教を展開を考えるという視点は新しいものだったようだ.これは他の先生方も同じだったらしい.昼食後,学部長室に戻り,プラッセン先生からガンダーラの仏像のデータベースを拝見する.私の講演にも出席していたポンズ女史が作成中のものというが,敦煌の壁画中の図像も集めており,大変な力作.宗教に関する大規模な研究プロジェクトのブランチの仕事ということである.その後,ケッグ先生と3人で大学図書館を見学.開架式になっており,4階と5階の東アジア関係のコーナーを拝見する.収蔵量は大変なもので,新大の東アジア関係の蔵書数をはるかに上回るだろう.『文史』が第1輯から全部ある.新文豊出版の敦煌学導論叢刊は二集も含めて全部ある.『考古学年鑒』も近年のものまで.ただし,長沙走馬楼呉簡や吐魯番出土文書,あるいは最近の敦煌文献の各種図録本がないのは致し方ないか.もちろん標点本正史や百衲本正史は言うまでもなく,線装本の四部叢刊や四部備要などは全て揃っている.最近はデータベースに依存することが多く,あまり使うことはないとのこと.プラッセン先生にトラム(キャンパス・ラインという愛称)でホテルまで送ってもらい,16時30分頃,戻る.空気が乾燥していて,のどが渇く.少し洗濯してから,1時間近く横になる.18時45分,マティアス先生が来られ,先生の車でレストランAusergineへ.プラッセン先生と落ち合い,野菜のメインディシュ.アスパラ・パプリカ・にんじん・もやし・サヤエンドウなどをスープと軽く炒め,その上にライスをのせたもの.ヘルシー第一でオーダーしたものの,量が半端ではなく,食べ終わるのに一苦労.甘口の白ワインとともに.21時過ぎまで四方山話をして,またマティアス先生に送っていただき,22時少し前,ホテルに戻る.そのまま就寝.
5時30分少し前に起床.入浴後,食事の前に駅に行き,切符を購入しようと思い,6時40分発.無難にタクシーで前日来た道を戻るが,なかなか遠い.ようやく駅の構内に入ったが,広すぎて,かつ人がごった返しており,なかなかわからない.チケットセンターを見つけ,並んでボッフムまでのチケットを購入.今度は裏口から出てホテルに戻ったら,5分とかからないことがわかる.7時20分朝食.とくにおいしいわけでもないビュフェ.急いで部屋に戻り,仕度をして,8時少し過ぎチェックアウト.裏口から駅へ.ホームがわからず,インフォメーションへ.同僚の桑原先生が調べてくれた8時22分発の列車でボッフムへ.車窓から景色を眺めるが,雪で暗い空に新潟を思い出す.9時3分,ボッフム着.ホームでマティアス先生の出迎えを受ける.そのまま駅近くのイビスボッフムセントラムにチェックイン.日本史学科のケッグ先生の車で大学へ.9時30分には大学着.学部長であるプラッセン先生が出迎えてくれる.パソコンをセットしてマティアス先生の部屋でコーヒーをご馳走になった後,10時から会議室で講演.「古代中国における墓券の展開」と題するもので,伊藤敏雄先生の石刻科研の中間報告書に用意したもの.12時近くまで話し,その後質疑応答.マティアス先生とケック先生が交替で私のパワポ原稿を翻訳して下さり,質疑でも同じように対応して下さる.12時30分少し前,ようやく終了する.新大から留学中の2名の3年生も元気な姿を見せてくれた.その後,原稿の史料部分を翻訳して下さった中国宗教史のディジアシント先生を交え,5人で学内のレストランで昼食をいただく.閑静な環境である.ディジアシント先生は道教史がご専門とのことだが,出土資料を手がかりとして道教を展開を考えるという視点は新しいものだったようだ.これは他の先生方も同じだったらしい.昼食後,学部長室に戻り,プラッセン先生からガンダーラの仏像のデータベースを拝見する.私の講演にも出席していたポンズ女史が作成中のものというが,敦煌の壁画中の図像も集めており,大変な力作.宗教に関する大規模な研究プロジェクトのブランチの仕事ということである.その後,ケッグ先生と3人で大学図書館を見学.開架式になっており,4階と5階の東アジア関係のコーナーを拝見する.収蔵量は大変なもので,新大の東アジア関係の蔵書数をはるかに上回るだろう.『文史』が第1輯から全部ある.新文豊出版の敦煌学導論叢刊は二集も含めて全部ある.『考古学年鑒』も近年のものまで.ただし,長沙走馬楼呉簡や吐魯番出土文書,あるいは最近の敦煌文献の各種図録本がないのは致し方ないか.もちろん標点本正史や百衲本正史は言うまでもなく,線装本の四部叢刊や四部備要などは全て揃っている.最近はデータベースに依存することが多く,あまり使うことはないとのこと.プラッセン先生にトラム(キャンパス・ラインという愛称)でホテルまで送ってもらい,16時30分頃,戻る.空気が乾燥していて,のどが渇く.少し洗濯してから,1時間近く横になる.18時45分,マティアス先生が来られ,先生の車でレストランAusergineへ.プラッセン先生と落ち合い,野菜のメインディシュ.アスパラ・パプリカ・にんじん・もやし・サヤエンドウなどをスープと軽く炒め,その上にライスをのせたもの.ヘルシー第一でオーダーしたものの,量が半端ではなく,食べ終わるのに一苦労.甘口の白ワインとともに.21時過ぎまで四方山話をして,またマティアス先生に送っていただき,22時少し前,ホテルに戻る.そのまま就寝.
by s_sekio
| 2013-02-19 17:58
| 日記