2012年 07月 05日
12/06/24 |
2:40,起床.今度はぬかりなく仕度を済ませて,3:30チェックアウトを済ませてロビーに集合.3:35ホテル発.日本語コースのサルダナ先生に車で空港まで送っていただく.3:50空港着.スーツケースを縦横にビニールでくるむビジネスが繁盛している.こうして盗難から護るのか.250ルーブルなので,我々も頼む.出国するわけではないので,比較的スムーズに進み,4:15ゲート.ゲート近くで大分待つ.ラウンジもないので仕方あるまい.しかし搭乗直前になって,座席を替わるようにという指示.高田先生と私は結局ビジネスに.S7110便モスクワ・ドモシェドボ行きは,6:00→7:10.モスクワとの時差は6時間なので,正味7時間.6:15搭乗開始.6:55始動,7:03離陸.眼下は果てしない森林地帯で,時折大きな川が蛇行している.堰き止められてできたと思われる湖がいくつも.2度の機内食以外はウトウトして過ごす.ビジネスの食事はさすがにおいしい.7:39着陸,7:46停止.ドモシェドボ空港で,ガイドのゴーリキさんと落ち合い,8:16空港発.ジャンボタクシーで一路市内へ.ちょうど9:00,クレムリン手前の駐車場に.ワシリー寺院の横を通って赤の広場へ.クレムリンの外周を一回りして,モスクワ大学旧館に.すばらしいロケーションである.
市庁舎などを経て,11:50,チェーン店であるヨールキ・パールキに.サラダのバイキングだけで満腹になりそう.13:00まで.土産物屋などに寄り,ノヴォデヴィチ女子修道院から,雀が丘に.市街が展望できる名所であると同時に,モスクワ大学の新館がそびえ立っている.迎賓館などもあるとのこと.丘を降り,一路シュレメチェボ空港へ.空港着15:40,手続きを済ませ16:20出国へ.新しいターミナルはきれいだが,機能的にはどうか.トイレを探すのに時間がかかるだけでも,うんざり.ゲートごとの間隔が狭く,椅子も多くはない.搭乗が始まった.しかし機材に乗り込んでも,CAがいない,席がない.違う機材だったのだ.ゲート変更のアナウンスもなし.ゲートの係員はうすうす気がついていたのだろうが,何も指示がない.一瞬,席がないので,またビジネスかなと期待したのだが,残念.走って別のゲートに移動.20:04始動,20:23離陸.モスクワ・シュレメチェボ→東京成田のSU262は,20:00→10:20.アエロフロートのCAのユニホームはデザインが古くさい上に,朱色というかオレンジ色というか,およそ落ち着かない色.シベリア航空のほうがはるかにデザイン・色ともシックで落ち着く(もっともモスクワまではビジネスだったせいか,とりわけて笑顔で好印象だった).2度の機内食もおいしくはなかった.けっこう眠って,成田には明けて6月25日10:27着陸,10:45停止.出たところで解散し,スーツケースを預けて,11:39発のスカイライナー12号で日暮里まで.実家に寄り,Maxとき343号で新潟に戻る.
今回の出張,当初21・22両日の学会に出て,23日のエクスカーションをキャンセルして帰国の予定だった.しかしそれではいかにも慌ただしいので,23日も参加し,24日に帰国の途につくことにした.片道に2日かかるので,月曜日である25日の授業を休まなければならない.で,24日のフライトを調べてもらったら,ヤクーツクから日本まで移動時間が最もかからないのは,なんとはるか西に位置するモスクワまで飛んで,そこから成田に戻るというルートであった.経度が日本とほとんど変わらないヤクーツクから7時間かけて時差6時間のモスクワに行き,そこから9時間かけて時差5時間の日本に戻ることになった.モスクワの滞在時間を含めてもこれが最短!なのである.ヤクーツクの学会は,24日以降も,今後の計画について話し合いが予定されており,各国からの参加者は引き続き残って意見交換をしたはずである.日本から参加した,早稲田大学教育学部のブレンド・デ・シェン先生の帰路は,ヤクーツクからやはり西方,時差3時間のノヴォシビルスクに飛び,ここで大分時間を過ごし,北京に飛び,さらに日本という経路だそうである.ヤクーツク発ノヴォシビルスク行きは4時30分発のはずで,シェン先生もさぞかし大変だったことと思う.
日本からだと,北京経由がベストだが,北京―ヤクーツク便は週2便しかなく,北京発が朝4時50分ではね.最初,23日に帰ろうとした際,ヤクーツク発のウラジオ便が,朝2時25分発と聞いてさらに驚く.これも24日に帰ることにした一因である.
一昨日,日露関係史がご専門で,極東ロシアをフィールドとされている教育学部の麓慎一先生にばったりお会いした.さすがの先生もヤクーツクにはいらしたことがないとのことで,よくぞご無事で,と言われてしまった.
なお旅行中の写真は,べつのブログで公開中です.あわせてご覧ください.
市庁舎などを経て,11:50,チェーン店であるヨールキ・パールキに.サラダのバイキングだけで満腹になりそう.13:00まで.土産物屋などに寄り,ノヴォデヴィチ女子修道院から,雀が丘に.市街が展望できる名所であると同時に,モスクワ大学の新館がそびえ立っている.迎賓館などもあるとのこと.丘を降り,一路シュレメチェボ空港へ.空港着15:40,手続きを済ませ16:20出国へ.新しいターミナルはきれいだが,機能的にはどうか.トイレを探すのに時間がかかるだけでも,うんざり.ゲートごとの間隔が狭く,椅子も多くはない.搭乗が始まった.しかし機材に乗り込んでも,CAがいない,席がない.違う機材だったのだ.ゲート変更のアナウンスもなし.ゲートの係員はうすうす気がついていたのだろうが,何も指示がない.一瞬,席がないので,またビジネスかなと期待したのだが,残念.走って別のゲートに移動.20:04始動,20:23離陸.モスクワ・シュレメチェボ→東京成田のSU262は,20:00→10:20.アエロフロートのCAのユニホームはデザインが古くさい上に,朱色というかオレンジ色というか,およそ落ち着かない色.シベリア航空のほうがはるかにデザイン・色ともシックで落ち着く(もっともモスクワまではビジネスだったせいか,とりわけて笑顔で好印象だった).2度の機内食もおいしくはなかった.けっこう眠って,成田には明けて6月25日10:27着陸,10:45停止.出たところで解散し,スーツケースを預けて,11:39発のスカイライナー12号で日暮里まで.実家に寄り,Maxとき343号で新潟に戻る.
今回の出張,当初21・22両日の学会に出て,23日のエクスカーションをキャンセルして帰国の予定だった.しかしそれではいかにも慌ただしいので,23日も参加し,24日に帰国の途につくことにした.片道に2日かかるので,月曜日である25日の授業を休まなければならない.で,24日のフライトを調べてもらったら,ヤクーツクから日本まで移動時間が最もかからないのは,なんとはるか西に位置するモスクワまで飛んで,そこから成田に戻るというルートであった.経度が日本とほとんど変わらないヤクーツクから7時間かけて時差6時間のモスクワに行き,そこから9時間かけて時差5時間の日本に戻ることになった.モスクワの滞在時間を含めてもこれが最短!なのである.ヤクーツクの学会は,24日以降も,今後の計画について話し合いが予定されており,各国からの参加者は引き続き残って意見交換をしたはずである.日本から参加した,早稲田大学教育学部のブレンド・デ・シェン先生の帰路は,ヤクーツクからやはり西方,時差3時間のノヴォシビルスクに飛び,ここで大分時間を過ごし,北京に飛び,さらに日本という経路だそうである.ヤクーツク発ノヴォシビルスク行きは4時30分発のはずで,シェン先生もさぞかし大変だったことと思う.
日本からだと,北京経由がベストだが,北京―ヤクーツク便は週2便しかなく,北京発が朝4時50分ではね.最初,23日に帰ろうとした際,ヤクーツク発のウラジオ便が,朝2時25分発と聞いてさらに驚く.これも24日に帰ることにした一因である.
一昨日,日露関係史がご専門で,極東ロシアをフィールドとされている教育学部の麓慎一先生にばったりお会いした.さすがの先生もヤクーツクにはいらしたことがないとのことで,よくぞご無事で,と言われてしまった.
なお旅行中の写真は,べつのブログで公開中です.あわせてご覧ください.
by s_sekio
| 2012-07-05 14:20
| 日記